古希過ぎ爺のホームページ

   良い世の中になってもらいがために言いたいことは沢山ありますが、所詮大きな社会は変化しにくいもの、いろいろ書いておこう。見られようが見られまいが自己満足でと言うマイペースでのホームページです。
 1970年代にインターネットと言う言葉はなかったような気がするのですが、技術屋で論文は目にしていました。そんなことで自営業になった1990年代半ばから、本屋でやさしい本を買ってきて、自分でちょこちょこ作成を開始しました。55歳でしたが、その後15年古希になりましたが、ちょっと病気した程度でここまで来られたのは運が良かったと言うことでしょう。
 今回は最終全面改版ということになるでしょう。サラリーマン時代のやや広い交流からローカルな交流の自営業に変わり、ローカルでは地域団体や地域行政にも結構かかわるようになりました。
 まあ、古希まで自分や地域の仕事をし、後数年手伝いもしなければなりませんが、地域団体や地域行政とのかかわりも前期高齢者範囲で全面撤退するつもりです。何故なら、自分も老人ですが、老人中心のものは昔から駄目だと考えて来たからです。でも、何でそんな団体がごろごろしているのか、それは「新しいことは何もせず、あるいは行政の下請けで使われている変化ない団体というものは機械的なために誰にでもいつまでも出来るから」なのです。そんな団体がいつまでも存続しているのは、その団体が惚けているのです。本来、そんな団体は廃止されるか、類似の新しい団体に吸収でもしてしまうのが筋なのですが、世の中は過激な人が出てこないとなかなかそうは行かないのです。
 でも、よぼよぼ老人でもまだ機能します。地域でのまあ多少は意義ある何かの金集めで、老人が「ちょっと金出してくれないか」と訪れれば多少のお金は集まります。また地域を害するような企画や事業者に対して「中止してくれないか」などにも有効な場合があります。でも、それらは支援役であるべきです。
 最期くらいは、そんなものは後の世代に放り投げ、次の世代が台頭しなければなくなって結構、自分のやりたいことをやることにしようと思います(2011年5月)。
  開設 1998年

その後気の向くままに追加改版

 今2011年、この世の中は何でしょう。細かくはわかりませんが、数年前のリーマンショック、今のギリシャに端を発するヨーロッパの金融不安、これらは皆国家や一部の人間が贅沢や儲けを追求し続けた結果ではないでしょうか。他国や企業から国家が借金をして、それを贅沢に使いまくってしまう。人類全体が地球という資源的に有限の制限の中で贅沢をしようとすれば、人・物・金・情報などというものを無理に機能させ、過剰借金し過剰生産し過剰生活し、そんなものはいつまでも続かないものだから、結果的にはどこかの無理からの破綻が生じて世界のバランスを失い、世界的な問題に発展する。人間だって、怠け者や劣る人も国家も居ます。それらの人々に贅沢な暮らしなどをさせようとすることは、所詮無理なことだと思うのです。
 これを防止するためには、人間や国家はそれぞれのある枠を越えずに質素・着実な運営しか方法しかないように思います。G8とかG20などという世界的なトップ会談がありますが、彼等は何をやっているのでしょうか。所詮、自分と国のための保身の範囲でしか考えていないのではないでしょうか。
 「こんな世界や国家環境の中で我々はどうすればよいのか」、人間ですから諸々の欲はあります。それを押さえて、常識に基づいて備えを忘れず程々の生活をする、と言う方法しかないように思います。その能力がない人にはいつしか何かが起こると言うことだと思います。どの国も誰がトップになってもうまく行っている国はほとんどないように感じています。世の中がそれだけ複雑になった一方で、リーダーの能力が不足しているのが理由でしょう。「近代のガンジー」のような人が出てこないと世界は治まらないのかも知れません。(2011年10月)
 2014年現在、73歳も半ば過ぎた、間もなく後期高齢者入りである。後期高齢者になっても地域事に中心的にかかわるのは若い人の害になり嫌なので、徐々に地域事からは引退し支援的に活動するよう心掛けはじめている。10年前に前立腺癌の手術をしたのだが、これは経過良好で幸いだった。でも、いつどうなるのかわからない年齢にもなってきたので、趣味の時間ももっと取りたい。少々前までは「70歳を過ぎれば諸々から解放され徐々に暇になるだろう」などと思っていたのだが、全然違うことがわかってきた。
 夫婦で病院通いが少々増えてきた、眼も耳も劣化してきた。最近は妻が入院手術となった、息子夫婦と同居しているが孫達が小さく面倒見支援ももう少々は必要だ、事務所番もしてやらなければならない、などなどがあるからである。でもまだ次世代支援的には結構動ける。運も良いし有り難いことでもある。ただ、もう少し外界をフラフラしたいものである。(2014年5月)
 TPPはどうなのだろう。いくら交流の世界とは言え、何から何までの広域商業・工業交流というものは成り立つのだろうか。以前騒がれていて今は死語になっているfood milageはどうなったのだろう。根本的な疑問を感じる。
 世界は民族・宗教・国などをベースとした紛争で益々混乱している。「科学技術だけは進歩しても、人間や組織は進歩しない」と以前から思っていたのだが、益々そんな世界になって行くような気がする。人間社会は自由になりすぎかも知れない、良し悪しは別としてそもそも、かなり制約や押さえつけがないと収まらないのだろう。
 20年,30年など何十年とお会いしていない歳が結構離れた若い方との年賀状だけは、今回を最後にさせていただくことにした。誠に失礼・勝手かなとと思う一方では心残りでもあるのだが、まずお会いすることもなく一生を終えるだろうと思うと、何かあってごお気遣いをおかけすることも申し訳ない、静かに消え入るのが一番と思っているからである。(2015年12月)


    私は、
  • 子供の頃からの機械・電気好きで48歳までは技術職サラリーマン、→《第3章》
  • サラリーマン25年、退職前の42歳からサラリーマンと自営業兼業、社会に言いたいこともあり→《第2章》
  • 48歳からは自営業専従で徐々に地域との接触が増え、→《第1章》
  • 趣味や興味も継続しているものもあり、新しいものも出てきて、→《第4章》
  • この間64歳で前立腺癌手術を経験し、→《第5章》
  • という経歴である。経歴にあわせて記述するのが一番、この先はもうないだろう、と言う構成である。
    ただし、書きためたものは多くあり、コツコツと追加整備を基本としているので、永久に完全になることなどないでしょう。間違いは多々あると思うのですが、それは見る方にお任せしたいと思います。
    永久に「under constraction」ですので、リンクにも不備が多々あると思います。徐々に修正・追加などして行きたいと思います。


記述内容 コメント
はじめに
私・人生捨てるものなし
 子供の頃からの機械や電気好きで家の小修理も私の仕事、専攻も電気、学生時代にはアパートの管理人も経験し、不器用な親父を手助けしての町会の広報作り、電気の会社に勤務して十数年で雲行きがあやしくなり、結局自営業に転身、 70歳でサラリーマン半分・自営業半分の人生となった。
 私としては、いろいろ経験したと思うのだが、捨てている経験は全くなく「人生捨てるものなし」と言うのが実感である。今でも今後やりたいことは山ほどあるのだが、残念ながら一部消化で終えることになるのだろう。
第6章
私の病歴

老人用にということで、章は変えず上に置くことにした。
 私は一人でポツリとゴルフ場に行く事が多い。似たような老人達と一緒にプレーする。話は病気・家族(子や孫)などのものである。希には事業上参考になる話も聞くのだが、病気は圧倒的に多い。60歳頃は年長の人の病気話を聞きながら「いずれの参考になります」などニヤニヤしながら聞いていたのだが、自分にもそれが訪れてきた。本当にゴルフ場での話が参考になっている。
 他に気になることに「惚けや健康」がある。惚けは誰でも長生きすればいずれ来るものだ。ここから惚けなどの境界領域はないのだが、惚けない方法や対策に一番興味があり、いろいろ考える。子供や孫がいると、彼等の健康を守る医療や医学も気になる。
第1章
地域に関係して
 サラリーマンを退職し直ちに一部の地域活動に参加しはじめた。同時に奉仕団体と言われるものに所属し8年我慢したのだが、ここは合わずにやめてしまった。暇になったら商店街から頼まれ仕事が発生し、間もなく商店会にかかわるようになり、その後街道型の商店街から街道整備に取り組むようになった。この中に「景観条例」への取り組みがあった。
第2章
一般社会に対して
 私などは技術者だから、そもそも日本というものを大所から眺めて云々する能力などない。しかし、40歳頃からは日本は経済一辺倒で社会システムが追いついていないことは感じはじめていた。20年前のバブル崩壊、今の年金の破綻問題、東日本大震災への対応のモタモタ、などは一言すれば、社会システムの遅れだろう。
 原因は政治と国家公務員の怠惰であろう。彼等は組織全体としては怠っていたという実感がないのだろう。なぜなら、民間の環境など知らない宇宙人だからである。如何にしたら、これらの人々が民間感覚で物事をシビアに考える頭を持つようになるのか、と言うのが何といっても日本の課題だろう。
 何をもって優秀というかは別として「優秀な人が政治家を目指す」環境整備が重要だろう。特に地方議会など見れば難関校出などは視野にも入れない職業だろう。今後の地方分権などを考えれば今の地方議会レベルでの解はない。
第3章
賃貸事業から
 賃貸事業から

 ホール賃貸事業から
当方の場合は一般賃貸とホール賃貸に分けて記述する方が見る方にとっては都合がよいように思う。我々以上のホールの方が多いのだろうから、その方の参考にはならないだろうが、参考になる方も居るかも知れない。ここに書いたものはノーハウと言うようねレベルのものではないので記述している。
第4章
技術者としての過去から
 技術者経験から
今で言えばISO9000だろう。私はISO9000信奉者である。行政・議員・業者など周囲の人に「ISOちょっとかじってみたら」と言う。「かじって自分に足りない部分を発見し重み付けをし、徐々にやれば進歩し業績改善するだろう」と思うから言うのである。メクラめっぽうやる人や組織はお馬鹿さんである。しかし、ほとんどの人や組織は「自分には関係ない。あれは製造業がやること」と思っている。お馬鹿さんはコンサルタントに振り回され、本末転倒のメクラめっぽうになっている場合がある。
当時はCWQCと言うものだが、推進経験からの諸々を記述してみたものである。何といっても「会社の体質問題」であると言えるだろう。
第5章
趣味・興味的なものから
  • インターネットは55歳から全くの自習で使い始めた。使い始めて1ヶ月後にはホームページ作成も開始した。1990年代半ばのことである。予備知識はそれより更に20何前の1970年代に偶然読んだ論文にあったので立ち上がりは早かった。しかし、今尚能力はその当時のままである。仕事を優先しなければならなかったし、今は爺だから先へ進む意欲はない。
  • 巷にはホームページ作成の参考本はいくらでもある。ところが、それらの本は「ホームページ作成という閉じた領域でテクニックだけを教える」ものがほとんどである。internet世界との関係、そもそも物事の構築という範囲からの考えも必要だろう。
  • DVD recorderは2007年に購入してみた。しばらくして、これは使いこなすのは難しいと本を数冊(放送・Discなど)買ってきた。元が電気屋だから大体わかる。しかし、一般の本は羅列ばかり、ちょっと整理して考えればもっと使いやすくなるだろう。
  • ちょっと数学好きである。と言っても全然大したことなはない。電気が専攻であるから数学などははしょられてしまい、ドンドン先へ進んでしまう。不真面目学生だから核心を理解せず試験を通る要領だけで終えてしまう。極めて不満が自分自身に残る。仕事で使うことはなかったが大学時代にぶつかったいくつもの壁をわからいまま死ぬのは残念だから、ちょっと振り返りをはじめているが、全然進まない。
  • 数学などは少々わかるから、音階なども数学的に理解しやすい。最近は、パソコンに100枚ほどのCDを入れておいて、バックグラウンドで流し仕事をしている。
 
 ホームページは1998年より気が向いたときに、その時の気持ちで追加変更してきたもので、その時の「気持ちの経過」がある。そんなものも捨てる事なく残しておきたい。