消防と警察
消防と警察に関して総括的に記述してみるとこんなことがある。
- 私などは署長などに接する機会も少なく、署員と接することが多い。「こうしてもらったらやりやすくなる」と言う点は多々あるから、それを訪れた署員などに言うと必ず「上には言えませんからね!」と言う言葉が返ってくる。「それでは何も変わらないね」などと担当者をからかうのだが、それ以上はかわいそうで所詮無理だから何も言わない。「完全な上意下達組織」である。人間社会だから限界はあるとは言うものの、民間企業の場合は、よい会社ほど「上意下達も(提案や改善制度などで)下意上達も行き届いている」。だから、細かな点まで日々の改善がなされて行く。駄目会社はそうではないが、それらはいずれ企業競争に負け衰退するので、自然淘汰される。だから害は長い目で見れば一時である。しかし、これらは競争がないからそのまま永続する。
- 我が居住地の場合、警察は県の下部組織であり、消防は市の下部組織であり、それぞれの組織化に入っているのだが、人事権というものは警察庁や消防庁など全然別のところにあるようである。であるから、形式的や機械的には県知事や市長などに従うだろうが、上の人々は皆本庁を向いて行動しているのは明かである。
- 警察署長だが、人事異動で栄転したなどと聞くので、調べてみると「県警の課長クラス」であったりする。40歳署長が課長で戻ったならばそうも言えるだろうが、50代半ばではそうは言えないだろう。こんなことでは、署長として力を発揮したり、上に進言できることは少ないだろう。私の知人の知人が40歳少々で県警のトップとなったことがある。今は、そんなことはないだろうが、キャリアーとそうでない人の開きには愕然としたことがある。
キャリアーは頭は良いかも知れないが、上滑りし細かい点は把握できずに偉くなって行くから、現場には疎いと言われても仕方がないだろう。
1年署長なども多い。定年退職の箔付けのための署長である。こんな事をしていて、社会に対して言い訳が立つのだろうか。
- 特に警察には地方政治家達も何も言わないようである。警察担当などとなった地方政治家ですらごますりに徹しているなどと聞くことがある。選挙などで睨まれるのが嫌なのかも知れない。
- 「予防と事後対策」である。例えば、健康診断などで病気を早期に発見し治療すれば社会コストも個人コストも低減される。重病になってからでは個人も社会もお金がかかる。犯罪などに対しても同様で、犯罪が起こってから多くの警官を投入するのはお金がかかる。予防できたら何よりである。警察官などは年々減らされているという。ところが一向に「検挙優先、予防は次」の世界に思えることである。これは警察上層部の頭が未だにそうだからである。
細かなことだかこんな不愉快なこともある。ある場所が一時停止と表示されている。見通しがきくので必要性が低いところである。その先の隠れたところに時々警察官が数人で見張り一時停止しない車を検挙している。息子が引っかかり「こんなことをしているより、他にやることがないのか」と言っていたので、同感と言っておいた。こんな事より、一時停止場所に一人おいておけばよいだろう。検挙より予防である。
最近は駐車違反取り締まりのうだつのあがらなそうな人間がうろうろしている。私の友人などは住宅地に数分駐車しただけで罰金を取られたとのことである。
- 「予防」は教育問題である。しかも、小さな頃からの教育問題である。家庭や学校の教育問題である。警察官が学校を訪れて云々より、警察庁と文部科学省の計画問題だろう。省庁間の連携がとれているのだろうか。
- こんな事に何となく疑問を感じていたので、ある時有名な評論家と会う機会があったので「警察や消防などの改革を誰が出来るのだろう」と疑問をぶつけてみたことがある。評論家からは「それは報道です。今の報道は堕落している。それら組織から情報をもらい、そのまま報道しているものすらある」などと返ってきた。
- 組織や会社というものは大きくなるに従い、相互依存という複雑な関係が出てきてしまう。報道もスポンサーには言いにくい。公的放送や報道と言っても、様々な従業員やその集団からの圧力がかかる。実業界などで報道で一番ひどいなどと言われているものは意外な会社である。やらせもある。結局、組織として巨大化した報道というものは「当たり障りがない範囲や誰が考えても当たり前の範囲でしか報道できない」のではないかと考えざるを得ない。
- 今の報道が駄目で、巨大化したものが所詮駄目ならば、巨大化しないで、しがらみも少なく自由にものも言えるものを考える必要がある。
大手の報道などでいろいろな評論家が厳しい意見を言っている。ところがそんなものが実現に向かって行くなどは聞いたことがない。
- さすがの行政機関も不祥事が生じれば「再発防止に努めます」とやっている。企業、特に製造業の製造現場での再発防止となると、それは大変なものである。マニュアルはあったが事故が発生した。そこで組織や仕組みの改善やマニュアル改善となる。人間まで締め上げられる場合もある。しかし、多くの「再発防止に努めます」という頭下げは、ローカルで一時のもので抜本的な対策は打たれないものであるだろう。頭を下げながら「どうせ、ここに居るのは後1年、これ以上追求する人も内外に居ないだろう、世間も直ぐに忘れるだろう」などと考えているかも知れない。その証拠に「このように対策する」と言う記者会見を見たことはあるだろうか。
- 私は、自分の住む地域の建物にセットバック運動を推進している。街道面の街路灯の維持管理もしている。数字には表れないかも知れないが、交通事故や引ったくりも減るだろう。近場で犯罪が起こる度に自分の土地や建物に設置している監視カメラを見に警官が訪れる。警察が全面的に監視カメラ設置など不可能なことはわかっている。可能そうな建物所有者にお願いして、地域のポイントに監視カメラ設置の運動でも起こしたらどうだろう。
こんな事をしていると、警察以上に末端予防に努めていると思うのである。
- 消防だが「火災予防週間」などと言って、一見予防に努めているように思える。しかし、全体的には上意下達の機械的なものである。ビルを建築しようとすると消防のくだらない改善指摘と許可、建築を終了すればまた火災予防の届出などあるのだが、馬鹿げた内容も多く一向に改善されない。だから「未だに火消し(事後対策)の域を出ず」と言いたいのである。
大震災でも発生すれば、治安面では警察が、対策面では消防がまずは大活躍することになるだろう。軍隊とも言うべき大機動力・機械力を有する自衛隊が機能するまでには時間がかかる。消防はもっと震災対策を各々の家庭に訴える中心となるべきだろう。しかし、そんな消防企画マンは地域には不在だろう。
東日本大震災では、警察より消防の活動が目に付いた。これは東日本大震災の被災地が地方で人のつながりが強く、自治の治安力が良好な結果、警察が治安面で機能する必要性が低かったと言うことになるのだろう。都市部は違うだろう。都市も地方もひっくるめて一律的な計画や対策では済まないということである。
- アメリカの消防の話だが「非常時には民間の消防団と言えども建設業者の有する重機などを命令で動かせる権限を持っている」と言うことである。日本なら「ミスで死んでしまう可能性もあるから権限と責任が持てる上司の判断がないと動かせない」などとなるだろう。結果的には手を下せず人は死んでしまい、誰の責任にもならない。こういう事を改革するのが幹部というもののはずである。