政治家というもの
最近「政治家というものは一体何だろう」と思う。鳩山内閣も菅内閣もひどかった。退いたものが後になって報道などであれこれと発言している姿なども見苦しい。直前の過去の恥をもう忘れてしまったのかと思える。お坊ちゃま教育は受けたが、世渡り教育の場は全くなかったのだろう。役人に対しても同様に思う。
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マニフェストなどと急に出てきたが、
- そもそも政治家のほとんどは、そんな文書作りには慣れていたいはずだし、まとめるのは非常に時間がかかるものであるはずだから、選挙前の急ごしらえではまともに作成できるはずがない。
- であるから、党内で整合がとれたものであるはずがない。
- こんなことだから、いろいろ並べ立ててはいるが、短期・中期・長期のものが思いつくままに優先度も重要度もなく羅列されているに過ぎないように感じる。
- 階層的・構造的になど考えられない。だから、マニフェストをベースに政策展開などできるはずがない。
- こんなものは間違いだらけであるはずだから、間違ったと!と思ったら直せばよいようだが体面からそれもできない。
- 野党も、そんなことばかり突いている。
と、こんなものと思っている。自民党も民主党も同じレベルであるだろう。
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- 政治家を育成するシステムがない。田舎のおっさんみたいな人も居る。票を取る人望はあるかも知れないのだが、世の中を体系的に考えられる人が少ないのも困る。
- こんなことだから、人材不足で実力も専門もなく、ただ年期で大臣になるのも困る。
- こんなことだから、つまらない発言で大臣がころころ変わる。つまらない突っつきの場合には野党も馬鹿と思える場合がある。
どうしたら、こんな政治が直るのだろう。細かいことを言っても仕方がない。何十年かかるか知らないが「能力ある政治家を育成するために」根本を変えなければならないだろう。
どんな根本かと言えば、
- 意思ある優秀な政治家を育て当選させる仕組み(システム)である。
- 意思ある人が居ても、地盤・看板・金の世界では、それらがなくては出られない。
- 大規模政党にはこれは期待できないのではないだろうか。ケチで自信がない政治家が多い現在、こんな事をしたら、自分の足下を救われてしまう。こんな事ぐらいはわかっているだろうから、党組織としては育成組織をつくることは、余程の権力者が出ないとまとまらないだろう。
- そんな結果が松下政経塾だろう。政経塾出身者が幅をきかせているようだが、党が駄目だからこうなったと言える面もあるだろう。
- では、どうしたら解決できるのだろう。極めて難問なのがわかるだろう。
ある衆議院議員が、議員は「貴族のような人間でないと駄目(お坊ちゃん貴族は困るが)」などと言っていたが、その通りである。貴族とは集票や利権にとらわれずに、正しく今後の在り方を追求出来る人と言うことなのだろう。
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- 若造にいきなり国会と言っても、二世三世など子供の頃から親の匂いを嗅いでこないフリーな人は、ほとんどの人は駄目だろう。
- 市町村議員→県会議員などを経由して、国会に上げて行く仕組みは出来ないだろうか。
- そうすれば、市町村議員のレベルも上がるかも知れないのだが、とにかく今の市町村議員のような低レベルではどうしようもない。東京に出る能力がないものが残って市町村議員をやっている、などと言われているくらいだから。
松下政経塾だが、松下幸之助はこんなことまでわかっていて塾をつくったのだろうか。大阪の橋下知事が市長に転換した。大阪府と大阪市を人間の身体に喩えれば、大阪府は身体全体、大阪市は心臓か肝臓かも知れない。そこを変えなければ身体は正常には戻らないという選択は正しいと思う。代わりの知事は彼のロボットのようなものだろう。彼のような若い人があちこちに出てこないと、日本は変わらない。
ただ長期的には心配がある。今は、病巣が明らかに目につく。そこにアイディアをどんどんとぶつけ推進している。あまりにも地方行政がだらしがなかったからバッサリと正しい大鉈を振るえる。配下は大将の方向について行くだけでよい。しかし、改革も進むと徐々に深い部分に至って行く。その時にはスタッフ力が必要になる。より高度なスタッフが必要になる。そのような点で並行してスタッフ力を高めて欲しい。橋下チルドレン・ガールスなどと馬鹿にされないような人々を集めて欲しい。