文書欠如の弊害
商店街にかかわり始めた頃書いた文書である。それまである団体、今度は商店街の手助けを始めると全く同じ、仕方がないが、いつまでもこのままでは地域改善はないと思いながら1998年に書いたものである。意識ある人からは、私が生意気だという批判ではなく、何回か「あの通りだよ」と言われたことがあるので、そのような人には伝わったのだろうと思う。ただ、伝わっても「納品書・請求書・領収書」主体でやってきた人にはなかなかそうは行かない。最近は、企業OBなどが商店街や町会に加わるようになっている。こんな人々が文書化やパソコンを利用しての会計などで腕を振るっている。また、少しずつだがパソコンを使えて当たり前という若い人も出てきて、少しは変わってきている。ただ、町会などはそのような人でもまだ脇役的な存在が多そうである。
今考えても随分と言いたい放題を書いたものだが、事実だから仕方がない。
私が総務時代に「会費を集め決算報告だけで情報なしは会員に失礼」と思うから定期的に情報誌として文書を作成し配付していたのだが、私の役割が変わると共にこれも中断してしまった。
さて、ちょっと長い文章となるが、生意気といわれるのを覚悟で以下を記述させていただこう。
文書欠如の「まち」
- 私は平成と同時にこの「まち」に入った。私が、この町・街・この町の各種の会に入ってまず、困ったこと・非常に驚いたことは、情報に関して大きな欠落があることであった。「まち」に入ったばかりで何もわからないから、何か知ろうとしたときには人に聞いたり文書をさがしたりする。しかし、文書をさがしても、ほとんど何もないのである。
-
商店会を例にとれば、
- 会則が店にないからもらいに行くと、何十年も前のものが出てくる。名簿なども最新のものはない。何をやっているのかもわからない。
- 祭り事があるという。参加して欲しいと言われるが、それを具体的に説明するものは何もなく、極端なことをいえば、最初は何をやるのかもわからないまま参加し、参加しながら覚えるしかない。
- こんな状況である。そのようなときに何を感じたかと言えば、
- 「まち」は口頭で運営されている、
- 文書などを使った周知や徹底の方法をとらないので能率が悪い、
- 企画書や計画書がないので全体がわからない、
- 会議をやっても議事録などをつくらないから何度も蒸し返しになっている。
- 長老や経験者が知識を小出しに伝授している状況である、
- 新規参入者は情報欠如から勝手が分からず、立ち上がりが遅い、
- こんなことから非常に閉鎖的に感じる、
などである。
事業の傍ら、活動いただいていることを考えると言いにくいことではあるのだが、ただ一つ指摘しておきたいことがある。情報を文書化しないでおくことと文書化して公開しておくことの比較である。
- 《文書化しておかなければ》
- 必要とする人は何人でも別個に聞きにくる。それを相手にするのでは、相手にする本人も何回も同じことで時間をとらなければならない。自分もどんどん忘れてしまい曖昧になる。
- 《文書化しておけば》
- 文書化するには多少の手間暇はかかるが、一度文書化しておき、これを見てわからないところだけ話すことができる(自分も楽)。
- 相手も全部メモをとらなくてもよい。
- 文書化しようとするといろいろと頭で考えていたことの曖昧さに気付き、物事を精緻化・整理することができる。協力してもらう相手にも迷惑をかけない。
- 相手がどのような人数であろうとも、周知や徹底が容易で同じようにできる。
- 忘れても、見直すことができる。
- 組織では人が変遷して行く。そのようなとき、引継も文書を利用しながら容易に出来る。文書があるので次の人の立ち上がりも早い。
などである。
《相手はどちらを喜ぶのか、》
自分がどちらが有効に時間を使えるのか、などを考えれば、どちらが有効で相手や後継者の役や立場にたっているのかは自ずとわかるであろう。私の場合、結構多くを文書化する。それは、真面目だからではなく、面倒くさがり屋だからである。何度も同じ事でどうどうめぐりするのはいやなのである。文書があれば渡して「読んでおいて」で済んでしまう。
悪いことは考えたくはないが「文書をつくらず、自分の頭の中だけにおき、教えを請いたい人にもったいぶって小出しにすることは、特定の人に閉じた運営、権限への執着や院政」に思えるのである。私の場合、経験でいずれ誰でも知るようなことは、文書化しながらどんどん吐き出してしまう。その方が後腐れがないし、自分も楽だし、自分も別のこともできるし、次の人の発展が早いと思うからである。よい会社や組織は、このようにして発展を加速させている。「文書+身体」の体質に発展することを願いたい。その方が、絶対お互いが楽を出来る。
編集後記
よいことではないのですが、今回は私がキーボードを叩いて作成してしまいました。しかし、今後は、次のようにしたいと思っています。それが商店会の総合力と思うからです。
一、各役員や部会は、メモにて編集担当に情報をお届け下さい(これは義務とお考え下さい)。
二、役職の方は特に、本誌の企画や内容にご協力下さい。「私はこんな事を書きたい」ということで結構です。誌上で議論を戦わせてもよいと思っています。
三、役職以外の方にもご協力をお願いします。
さて、私の本性は過去の電気通信技術屋で、このような紙面編集の専門家ではありません。文章・語彙・体裁その他十分に皆様に満足のいただけるものにする自信は全くありません。また、報道機関などには「あの言葉・この言葉は駄目」のようないろいろ難しいことがありますが、私はそんなことは知りませんし、あまり意識すると何も書けなくなってしまいます。所詮ローカル中のローカル誌ですから皆様には「一商店のおやじがまとめていること」とご理解いただき、気楽にやって行こうと思っています。よき協力者を得ながら、改善して行きたいと思っています。
また、私もいつまでも続けることもできませんし続けてはいけないことと思っています。そのようなことで、後継の方が、どんどん出てきて欲しいと思っています。
《後任者への優しさを考えて欲しいものだ》
この「まち」で正しい引き継ぎが行われている事例を見たことはない。
この「まち」に入って以来、残念ながら精緻な企画書・議事録などはほとんど見たことがない。であるから、何十人になろうとも、皆細かい点まで口頭伝達である。これでは、曖昧になったり・忘れたり・聞いていなかったりなどで周知や徹底は何度もやり直さなければやらなくなる。周知・徹底しきれず最後はどたばたの場合もある。非常に非効率である。そんな無駄なことをやりながら、忙しいと言っている。文書がなければ「忙しくなって当たり前」逆に文書があれば「忙しさが半減する」と思うのである。
地域には商店会のみならず、奉仕団体その他の多くの会がある。しかし、地域性と言おうか小規模商人性と言おうか、ほとんどは何事も口頭伝授の世界である。これは改善しなければならないであろう。悪いことは考えたくはないが「文書をつくらず、自分の頭の中だけにおき、教えを請いたい人にもったいぶって小出しにすることは、権限への執着や院政」に思えるのである。私の場合、経験でいずれ誰でも知るようなことは、文書化しながらどんどん吐き出してしまう。その方が後腐れがないし、自分も楽だし、別のこともできるし、次の人の発展が早いと思うからである。よい会社や組織は、このようにして発展を加速させている。
《情報化より取り残された世界》
情報化社会と言われはじめて久しい。もう、10年以上にもなるであろう。しかし、地域事業者でパソコンなどの情報機器利用者は極めて少ないのが実状である。これでは、社会の平均値にも追従できていないのである。私は、自動車は「物や人を運搬するための支援道具」、パソコンは「知的仕事をするための支援道具」ちょっと極端だが「現代人は両方持って一人前」と思っている。しかも、普通の人なら、自動車免許取得時の努力と同程度で十分に覚えることはできる。であるから、「パソコンなどはどうも」といっている人を見ると、老人なら仕方がないが、仕事上あれば便利でコスト低減もできるのに若い人には「逃げている人・いつまで逃げられるつもり」と思ってしまう。また、両方の道具を持たない人は片手落ちの人と思ってしまう。
五十歳の人は、後二十年くらいは生涯を考えておく必要がある。現代文明の情報化機器を使えないで恐ろしくないであろうか。私は、自動車が使えないのと同等に不便で恐ろしい。商店会の四十歳代の若手などが使えないことはもっと恐ろしいことである。
《情報発信できないまち》
こんなことだから、当然「情報発信できないまち」となってしまう。
普通何かの勧誘でもしようと思ったら、ガイド資料(何をやっているのか、今後どうしたいのか、組織はどうなっているのかなど)があり、それを持参して、説明しとなるだろうが、何もないから口頭でとなる。勧誘に行く人のレベルもあるから、相手のレベルでも高ければ質問を受けてしどろもどろになってしまう。
別に綺麗に印刷した紙がある必要はないのだが、商店街も町会もこんなものは見たことはない。それで「入ってくれない」とぼやいている。