新しいこと・規模の大きなこと・難しいことができない「まち」
新しいこと・規模の大きなこと・難しいことをやろうとしたら、
- まず、企画だろう。目標を定め実現可能か様々な面から見当する。
- 単なる文章だけではなく、図表なども駆使しなければならない。図表は伝達力向上のためにあるもので、専門家だけのものではない。それは、文章だけで図表を説明することを考えたら直ぐにわかるだろう。
- 1回つくれば終わりではなく、検討を繰り返し、精度を向上し企画書を完成する。
- 新しいことは未知なことも多いし、規模が大きければ体制なども十分に検討しなければならない、難しい点があれば解決策を考えなければならない、ので企画書も難しさを増して行き、時間もかかる。
- 何よりも重要なのは企画チームの能力、企画リーダーの能力である。チームが良くてもリーダーが悪ければ駄目である。
- このようなことは、文書なしではらちがあかない。せっかく会合を持っても次の会合では忘れている。老人などが多い場合は、前の会合の結果など全く当てにならなくなる。おさらいや同道巡りを繰り返すことになる。
大きな企業などは、常にかなりの部分が新しいこと・規模が大きなこと・難しいことであるから生き残り発展を続けいるのである。そのために、企画などには万全を期す。それでも、当たる商品などは半分以下だろう。
巷は文書作成に弱い。だから「新しいこと・規模の大きなこと・難しいこと」はスマートには出来ない。やろうとしたら、企画精度が悪く行き当たりばったりになり、土壇場で大混乱したり、期限通り事が進まなかったり、最悪は挫折したり、となる。
ただ一つ解決方法がある。
- 企画のプロを雇い(コンサルタントなど)「まち」の意向を把握しながら会議進行や資料作成を依存することである。
- ただ、それにはお金がかかる。直ぐに100万円などとなる。「まち」の人はこんな金額を聞くと直ぐに「高い」などという。何故ならば多くの人は頭脳労働と言うものに認識がないからだ。頭脳労働者は霞でも食べて生活していると思っているのだ。これまで何回か「霞を食べているだけでは生活できないだろう」とコンサルタントを弁護したこともある。逆に「ダニ・コンサルタントになるなよ」などと若いコンサルタントに言ったこともある。「何ですか」と聞かれたので「私は同じ事を繰り返していて、頭の発展がない人をそう言うのよ」と言ったことがある。若いコンサルタントへの刺激である。お役人の中には、コンサルタントに丸投げするばかりで自分の頭の発展がない人も多い。
- 数回やってもらっていると、口頭だけの人々の身体にやり方や分担が染みついてくる。そうなると、コンサルタントは不要になり独立して動けることになる。
地域には伝統的かつ巨大なものが多々ある。それらはほとんど口頭だけでやられてきたものだろう。なぜ、そんなものが出来るのか。それは小規模からの長年の発展があるからである。零からでは無理だろう。大きな会社などは零からでもできる。
蛇足だが、こんな事を書いておこう。
自宅を地元大工に依頼したときである。設計士は別で設計図面は出来ている。大工も大工なりに必要な図面を書くと思っていたのだが、そんなものは見当たらない。ベニア板2枚に柱の位置図だけ書いたものがある。
この時にこんな風に思ったことがある。
- 小規模な自宅一つだから、これでも出来る。
- しかし、この大工にはこの規模が限界だろう。大きなものは頼めない。
と言うことである。
《コピー発展の害》
コピー発展には害も伴っている。昔しはコピーなどはなかったから、覚えようと思ったら必死になって写す。写す内にある程度は頭に入り、その後の知恵となる。実際に実施することにより問題にぶつかり解決するので知恵も増す。
ところが、コピー社会というものは、ここを安易に通過してしまうものだから、安易な人間をつくりがちになる、と言うことである。人から渡された資料は極力、アンダーラインなど引いて、見直しでは重要部分しか見ないようにするのだが、それをせずに反省することも多い。