地域の諸団体というもの
正直言って、地域には諸団体がこのように多くあるのは、サラーリマン時代は町会以外はほとんど知らなかった。徐々に様々な団体の存在を知るようになった。自分もある委員会に所属するようになった。諸団体が気になるようになってきた。有効に機能しているものもありそうだが、疑問があるものもありそうである。ある時、区役所の役人に向かって「区がかかわりを持ち、認知している団体名を一覧表で教えて欲しい」と公式の会合で発言した。区役所からは、後日「教えられない、ただし私にだけは非公式で渡す」と言って、一覧表を渡された。この前後から諸団体には、こんな疑問があったのである。
- 区が認知している諸団体は、その当時は70近いものがあっただろう。今は100などとも聞いている。
- 私の当初の疑問は、何故これら団体がグルーピングもされず横並びで存在しているのかであった。似たような団体があるにもかかわらず、横の交流がされているようにも思えない。
- 私の目から見れば、町会系、福祉系、広義のまちづくり系、文化系、スポーツ系、消防・警察系などに分類できるように思える。
- それら類似団体での横の交流が行われれば、シナジー効果も生まれるかも知れない。何故分類もせず横並びにしておくのだろう。区役所も手がかかるだろう、などなど様々な疑問がわき起こった。
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こんな発言も何回かした。
- 同類の団体を集めて年1回でもフォーラムを開催する。
- そのフォーラムでは、例えば各団体が、A4用紙1枚に「何をやってきたのか、これからどうするのか」を書いて持ってくる。かつ、それを15分位で発表する。
- 自然に協力関係などの縁結びになるかも知れない(ひがむ団体や個人も出てくるかも知れないが、それは私には不要団体と思える)。
- 区役所は案内を出し、場所だけ用意すればよいのだから楽だろう。要領がよい刺激策も必要である。
- それが出来ない団体は、不要団体であるだろう、などと刺激的な発言もした。
- 区役所や市の役職者にも、地域にご機嫌伺いしているのが上位役職者の仕事ではない、地域団体の整理統合など改善が出来なければ、役所の効率も改善されないだろう、などとも発言した事が何回かある。
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しかし、こんな事が行動に移されることは全くなかった。その原因を勝手に推察するならば、こんな事もあるのではないだろうか。
- 地域には役好きがごろごろしており、それらの人が諸団体の役員をし、うれしがっている。それが、高齢者(自分もそうだが)にでもなると周囲環境の変化もわからず団体を存続させ居座る。惚けたら自分からやめるとは言わない。役所も滅多には廃止などしない体質があるから、そのままとする。おおよそ、どうでもよい団体などは新しい企画もないルーチンなので「誰でもいつまでも出来る」のである。
- 役所の上位役職者は改革の摩擦で人気が落ちるのを避けたい。
- 横並びにしておけば、ばらばらで個別対応でコントロールでき、コントロールしやすい。
意外にこんなことなのではないだろうか。単純だが根深い問題である。
こんな事で社会が変化し、役割を終えた団体、ほぼ終えたので後発の団体に吸収されても良い団体などが「彼が死ぬまであの団体はなくならない」などと陰口を叩かれながら存続している場合がある。私は宛職などでそれら団体に名を連ねる場合がある。迷惑でならない。一旦は連ねるが、そのような団体と知ると「退会」を申し出る。メンバーが居なくなれば団体は消滅する、と思うからである。名前だけは残しておいて欲しいという団体もある。仕方なくそうしているが、そんな団体の会合には時間の無駄と一切出席しない。
欠席したが、ある団体の会合に招集されたので、上述のような指摘をしたところ案内を持ってきた役人から「実は20万円ほどの補助金が国から来るのでやっている」と言っていた。その会合には何十人と無償奉仕の人が集まるのだが、成果を聞いたことはない。
付け加えることはまだある。行政のトップ命令である会合が発足した。
- トップの意図は「区民で解決できるものは(行政に依存せず極力)区民で解決して欲しい」と言うもので設けたものである。ケネディーの大統領就任演説「Ask not what your country can do for you . Ask what you can do for your country .」のはずである。
- 市民から観れば「区のトップ会合と思える名称」である。知らない区民は誰でも、その会合がすべてを解決するものと錯覚する。
- 委員には多くの町会長クラスが参加しており、町会からの参加者は20名ほどの半分近くを占める。諸団体のトップもいる。
- その内容だが、例えば「町会に参加する人が減り困っている」「地域防災で役所の備えがあまりにも不備である」などが審議されている。これからは環境だ省エネだ、太陽光発電だなどと言って、巷では出来もしないことに時間を費やしている。
- 町会には連合会などという上位組織があるのだが、そこで多分ほとんど議論したこともない「町会に参加する人が減り困っている」を持ち込んだとしか思えない。連合会では手に負えないというのならまだよいのだが。自分の組織内問題を外にお願いしているようなもので、自覚がないと言うことである。「地域防災で役所の備えがあまりにも不備である」などもあまりにもひどい状態で役所の怠惰や仕事の甘さとしか思えない。これも役所に自覚がない。太陽光発電など国が考えるようなもので市民が出来ることは白熱球を蛍光灯球やLED球に変えるのが先決だろう。その補助金でも出した方が余程よい。
- 上記は、話が長引くものだから、仕方がなく爆弾発言をした内容である。最大の爆弾発言は「この会合がうまく運用されないのは議長と区長が悪い」だった。委員は所詮一般市民、議長や区長が駄目なら会議やその方向性などリード出来るはずがない。辞めてしまったので今は知らないのだが、区長などは外野席に座り、静かにしているだけであった。
- こんな発言後、地域報道の記者と話をすると「ここはまだ良いですよ、他の区は役所批判ばかり」などと言っていた。恐らく市全体が「トップの意知らず」なのだろう。
巷には以上のように諸団体があるのだが、良い活動をしている団体もある。ただ、純民間での活動には限界がある。狭い領域での政治力も必要なくやれるものはよいのだが、摩擦なども考えられるものには手を出せない。ところがそれは重要という場合がある。そこに根本的に手をつけなければ、施策は所詮絆創膏(パッチ)程度のことにしかならない場合がある。パソコンなどお使いの方はお分かりだろうがOSとアプリケーションソフトウェアの関係である。OSを直さず、アプリケーションソフトウェアの発展はあるだろうか。OSは行政が主導しなければならないだろう。市民を騙すな、市民を使うのも節操を持て、と言いたい場合が頻繁にあるし、言うこともある。