地域事
古いまちにはお寺や神社があり、それら行事も多い。それらについて触れてみたい。
- それら行事は伝統的なものであり、日本の文化でもあるから、何とか維持したいと思う。密ではないが私も手伝いをする場合がある。
- ただ、私は50歳くらいに地域入りした人間だからお手伝い範囲を守ることにしている。 当初からしゃしゃり出る気持ちもなかった。しかし、お手伝いをしながら感じることは多々ある。良いことも悪いことも一緒にして書いてみることにしよう。
- まず、地域の商工者の活動には頭が下がる。仕事や家庭を犠牲にしてでも、手伝いをしている。地域育ちの人々は小さな頃から身体に染みついている行事であるので、ある時は楽しみながら・ある時はぼやきながら、行事をこなしている。
一般の人は、行事に訪れるだけで苦労はほとんど知らないだろう。
- 地域事のほどんどは紙に書かれた手順書はない。皆体得しているからそれでよい。ところが、あるときからの協力者などは、体得するには10年などと言う時間もかかるものもあり、ある年齢から参加すれば所詮無理と言うことになる。
- 長をやっている人は大変である。何が大変かと言えば、すべて頭の中に入れ、資料なしで多くの人を動かさなければならないからであることと、あれやれこれやれと指示しないと動けない・動かない人間が多いからである。
- 手順書もなく船頭が多いから、せっかく協力に言ってもほとんど眺めているだけと言う状態になる場合もある。こんな事で私は単機能を受け持ち、必要な時間帯をきちっと守って協力することにしている。そうしないと手持ちぶさたで身の置き所がない。
さて、地域の昔と今を比較してみよう。
- 昔の地域、戦前の地域、は地域にほとんどの職業があり職業人が居たという時代だったろう。地域を出て働く人は少数派だっただろう。優秀な人でも地域に残った人は多かっただろう。それは、閉じた地域社会でほとんど済ませることが出来たと言えるだろう。地域交流が地域外交流より大きい時代だっただろう。
- その後の日本はどう変化しただろうか。特に戦後である。
- 戦後当初は、何よりもまず復興だったろう。復興がある段階に達した時点からは、製品の品質も向上し眠っている諸外国を凌駕し製品輸出にドライブがかかってきた。輸出での外国からの富の持ち帰りから、国内も潤い、豊かになってきた。産業は益々優秀な人を欲するようになった。こんな事で、高学歴化となっていった。
- 輸出産業は勿論、国内型産業においても大手やチェーン店が台頭し、益々人を集めるようになった。
- こうなれば、それらの産業に優秀な人々は就業することになり、零細事業は余程の特殊技能を持たない限り存続できなくなった。
- その結果、優秀な人々の活動は世界あるいは日本など広域になり、地域での産業や活動可能人口はドンドンと減ることになった。
- 大手は資源(人・物・金・情報など)ではるかに零細商人を上回り、逆立ちしても勝てる余地はない。
- 地域はその結果、活動を見直さなければならないことになったのである。例えば、ある商人の子供が大手の同類産業に就職している場合がある。子供が間接的に親の足を引っぱっているのである。
こんなことなのであるが、地域行事の推進者達にはそんな自覚は薄い。わかっていても遠慮から言わずに黙って出来なくなるまで待っている。その間関係者は極めてつらい思いをしている。民間会社なら、生存がかかっているのでバッサリ切り捨ててしまうだろうが、それが出来ない。ある行事だが我慢比べになっている。相互訪問の習慣があるのだが、相手がギブアップするまでとお互いに根比べをしている場合もある。お釈迦様も神様もわかっているはずだが、中間の理解や決断がないように思っている。あるいは自意識過剰なのだろうか(変えたら何か言われると言う心、だが世間はそこまで考えない)。
10年ほど前に目にした記事だが、あるお寺は、相互訪問などやめ、その代わりにその行事を賑やかにするために、今年行事が終わった段階で、お坊さんは来年のテーマを発表する。そのテーマに則り、様々な芸術家が1年間の準備する。音楽あり、絵ありなどらしい。最近見たテレビでは名古屋のお寺がある目的で毎週野菜市をやっていた。我が地の神社も神主さんが若返ったら、世情に会わせどんどんと変わってきた。