定常的なことでも下が機械的に動かない団体
通常の会社なら計画的に仕事をしている。であるから定常的なものなら上がいちいち「動け、早くやれ、こうやれ」など号令をかけなくとも、予め決められた手順や分担に従って自主的に動くものである。そうしなければ「お前は何だ、給料もらっているのだろう」などとどやされてしまう。
ボランティア団体では難しい点なのであるが、なかなかそうは行かない。地域社会の上になって一番嫌なことはこれである。末端までの神経を張り巡らしていなければならないからである。大きな会社でもこんな部分は皆無とは言えないのだが、少なくとも将来性ある人々は自律性を持って動いている。これには様々な原因がある。
- 文書がないことである(指示が不十分になる)。
- であるから、文書の習慣づけがなされないことである。
- 習慣づけがなされないと言うことは、書けない人が多いと言うことである(書いたことがない人には文書の重要性はわからない)。
- 書けないと言うことは、読めないと言うことでもある。
こんなことで、団体の中心者にでもなると、文章内容まで細かく指示し、それでも駄目だから自分で引受、自分でやった方が早いという場合も多い。会社なら、まずこんな事はない。
下の人は単純作業ロボットということになってしまう。それでも組織として何らかの成果があればよいのだが、やっただけとなると虚しくなる。そんなことをしていなければ別の有効なことが出来ているかも知れない。