奉仕団体というもの

 私は、サラリーマン出身で50歳少々前に地域入りした。また、この地の出身者でもないので、知人はほとんど居なかった。ただ、少々妻方の親戚があり、自営業になった直後に誘いで地域団体に入会させていただくことになった。誘いはともかくとして、私の期待というものは、

 ところが、知り合いは増えても、地域貢献は表面的で上辺のものばかりだった。2年ほどで知り合いが増えほぼその範囲では飽和に達し、一方では団体や地域貢献への不満が高まっていった。団体の変化を期待し少々努力はしたつもりではあるが、私が期待する奉仕レベルに達するのは無理と判断し、8年在席した団体を退会することにした。ただ、喧嘩別れしたわけではないので、その団体メンバーに会えば今でも挨拶や雑談をしている。

 
    少し具体的かつ羅列的にお話ししてみよう。

  1. そもそもこの類の団体は「奉仕を建前として参加自由の任意団体である」。と言うことは、合わなければ辞めることも自由である。奉仕という目的にして極力純粋であるべきである。私的なことで団体を左右してはならないはずである。更に一般的に団体が何故必要なのかを考えれば、世の中は個人→企業・行政→政治のように構成されるが、個人や企業・行政の間には大きなギャップがある部分がある。その間を埋めるために諸団体が必要なはずである。それを奉仕という形で埋めるのがこの団体であるはずである。私は、趣味の団体は別として、どんな団体でもギャップを埋めていない団体は不要団体と思っている。ところが、そんなことを頭に置いている人はほとんどいなかったと言えるだろう。

  2. 出席に厳しい団体だった。ところが私にはそれは表向にみえた。自分の団体の会合に出席できない場合は、他の親戚団体に出席してカバーするルールがあった。しかし、私の場合はそんなことをしたら益々多忙になるので、可能な限り予定をつけ出席した。恐らく出席率は95%は越えていただろう。カバーは原則としてしなかった。しかし、平均的な出席率は70%以下だっただろう。欠席がちなメンバーの一部には明らかに仕事ではなく、遊び都合で欠席している人が居ることもわかった。欠席常連者も居た。彼等は何のために会員となっているのだろう。
    あの団体は60人と聞けば、外部の人はその団体に60人分の期待をする。ところが、実態が40人ならその分だけ真面目な会員は活動しなければならなくうなり迷惑である。欠席で食事をしないから経費が減るだろう、などといっている会員には、こんな反論をしていた。

  3. 私は、大きな組織育ちである。大方は地域の中小事業者であり、考え方が合う人は少なかった。ただ、少なかったが合う人も多少は居た。合う人は、自分の会社は小さくとも大手の下請けなどの仕事をしていて、大きな組織がわかっている人だった。

  4. 奉仕団体なのだが、ある面では仕事の囲み込み団体のようでもあった。「この仕事をやるから、あの仕事をよこせ」というような働きかけも何回か受けたことがある。私は「私にはこれまでの付き合いがある。同じ団体になったからと言って急に仕事のやりとりは出来ない。貴方を何年かけて知ってから考える」とお断りしたが、本来御法度のことが平然となされていることも嫌だった。

  5. 地域と同様に「文書に弱く、その結果会合がだらだらしている」のも嫌だった。サラリーマン時代なら3回の会合で終えるようなものも何倍かの会合を重ねないと同じところには辿り着かなかった。議事録もない、資料を事前配付しても見てこない・持ってこないである。

  6. 役職は年次性だから、毎年交代する。一旦、会長などの役職に就いたものが会の規約にはない非公式の会をつくり院政を敷いているのもいやだった。こんな院政により10代先までの会長が決まってるという。「あいつは彼に睨まれているから永久に会長にはならない」と言われている人も居た。

  7. メンバーは40代から80代までも問題だった。10歳でも違えば大変なものなのに、そもそも同じ活動を40歳も違って出来るものではない。年齢に応じた役割がきちっとしていればまだ良いと言いたいところだが、そうも言えない。引退年齢はないから、老人介護になってしまう。

  8. 金がかかるのも嫌だった。会費以外にもあれこれと費用がかかる。一番嫌なのは飲み食いや遊び事のお金だった。人にもよるが付き合いの並の私でも、会費以外にその2倍程度のお金は出ていただろう。

  9. 会員60人ほどの団体で委員会15、そこには委員長・副委員長が居るから30名、半数は委員長か副委員長である。それと出席率は前述のようなことや会員の能力を考えると明らかに肥大組織である。身の程を考えて「我がクラブはここまで」と委員会を絞るべきなのだが、そんなことを考える人も居ない。上位組織からの要請や他クラブの真似事をして金太郎飴のごとく同じように組織編成する。であるから、満足な活動をできない委員会も出てくる。会員も二重にあちこちに登録されている。こんな事が原因して「あのクラブにはこんな特長がある・ここに強い」などとならない。

  10. ある会合で「上が単年度性なのだから、主要役職者が理事会なので勝手に決めればよい」などと発言している。そこで「勝手と言うことはまずい、少なくとも一貫性というものは考えてもらわないと、特長を出すと言い直して欲しい」と発言したこともある。

  11. 「彼奴が上になったら、私は協力しない」と言うことも多く聞いた。私にも「協力したくない人は居る」。しかし私は組織だから私的感情を押さえて最低限の協力はする。それが組織と思っているからである。


  12. 「彼奴が上になったら、私は協力しない」と言うことも多く聞いた。私にも「協力したくない人は居る」。しかし私は組織だから私的感情を押さえて最低限の協力はする。それが団体と思っているからである。

  13. ほんの一握りの人間だったが、団体における地位狙いの人も居ることがわかった。彼等は、クラブ拡大などで上にゴマをすり地位を上げようとするのである。ところが、自分でやれる範囲は限られているし・自分の能力も知っているから、地位狙いを隠して人を使おうとするのである。そんな人々は、会長経験者などで「××年度の会長に推薦してやる」と餌を与えながら協力させるから、餌に食らいついてくる人も出てくる。始末におえない。

  14. この地域の大方の団体に言えることだが、会長などの役職を引き受けて嫌なのは、動きを観察していて「もう時期だから動いて欲しい」と言わないとスタートしてくれないことである。企業なら「何で金もらっているのだ」と一喝されてしまうものだが、自律的に動く習慣がない。甘えているのである。

  15. クラブは小クラブをつくり親クラブとなるような仕組みもある。10年も経過しているのに何かの講演となると親クラブから人を招いて講演してもらう。ごますりで招く方も招く方だが、来る方も来る方だ。腹に据えかねたので親クラブから来た講演者を「私は10年も経過したクラブから招かれたら、自分でやれと言いますね、それが親心と言うものでしょう」とからかったことがある。以降、少しは自分達でやるようになった。

  16. このくそ暑い日本で夏に背広、ネクタイ着用もいやだった。そもそもそんなものを来ていられるのは、近代社会の石油エネルギーのおかげで無駄と考えていたからである。遠い人は車である。建物の冷房はともかくとして車の冷房でドア・ツー・ドアだからよいが、会場に近い人間は歩きや自転車である。近いほど暑いとなる。そこで夏はシャツにネクタイのみを宣言した。「団体は背広着用だ」と反対するものも居たが、世界的な団体であり「南洋の国々まで背広などはあり得ない、規約にそんなものはない」と突っぱねてしまったことがある。頭が全体的に硬いのである。

  17. 呆れはてたこともある。入会して半年ほどの私が××周年記念誌作成の委員長になってしまった。他に出来る人も居ないだろうからと引き受けたが、団体として恥ずかしいことではないか。恥ずかしいと思っている人も居なかっただろう。
     もう一つ、地域全体で一人のトップが決まる。トップは次年度の運営のために委員長を決め、大規模な会合を持ち、各々の委員長が計画を発表し整合し、それを膨大な報告書にまとめる。ところが、その報告書が配付されるのは、年度も半分以上過ぎた頃である。これも数年後に引き受けることになった。地域のトップからは4ヶ月ほど早められないかという打診を受けたので、これも了承した。作業期間は3ヶ月やり方次第であるからである。それなりの地位持ちでわがままな年配委員長が多いので「校正など遅れたらすべて私の校正で済ませる」と年配者相手に宣言しスタートした。遅れたものはその通りにした。

  18. 地域人としては過激な私に「無理だよ!よしとけよ!」と忠告してくれるよき友人も居た。私は「わかっているのだけれどね!でも黙って言えば何もないからね!」と応じていた。

  19.  こんなことで、入会2年ほどで半遊び団体と言える団体と確信してしまった。一部は遊びでも良いのだけれど、遊び主体では困る。参加している意義がない。ただ、あっさり去るのも卑怯である。過去の会社経験から団体の体質改善は不可能と思いながら5年ほど言い続けたのだが、年齢もお互いに並行シフトで増したので、改善はもっと無理になった「自分は合わない」とあっさり退会を決めたのである。
     実の地域社会だから私は完全に理想追求するというものではなかった。合格点になれればと思っただけであった。辞めて3年ほどしたら他のクラブから声がかかってきたのでお断りした。そのクラブの別の人からは誘えと言われたが「彼はこちらに来ても同じだよ」と誘わなかったと言われたので「その通りです」とお答えした。
     知人にも誘われている人は多数居る。入ってくれ入ってくれと言われるクラブには入らない方がよい、入会を待たされるクラブならよいだろうが、と言っている。

 クラブではこんな事件もあった。ある悪徳会員が存在していた。その会員は、企画的な川上の仕事をしている会員だった。企画・実施と言えば企画が川上である。クラブには川下の仕事をしている会員も居る。商売上、悪徳川上人間はうまく川下人間を使おうとする。川下人間はおいしい仕事にありつきたいから悪徳川上人間にすり寄る。こんな結果、クラブ内で仕事上の詐欺事件が発生したのである。クラブ内で、そのために会合を持つことになったのだが「仕事上のことをクラブに持ち込むべきではない」と発言したことがある。悪徳川上人間は、ある面ではより川上である私にすり寄ったことがあるのだが、前述のように「私は人を信用するまでには時間をかける」のを原則としているので、被害はなかった。悪徳人間は、他のクラブの人まで被害を拡大させていたようである。
 辞めて2年ほどすると近隣の人から商店街の手伝いを依頼されお引き受けした。そんな関係からのいろいろな発展があり、団体加入時以上に恒久的な地域仕事をするようになっている。