私と景観条例

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 今の時代わかってしまうだろうから冒頭に記しておくことにするが、私は”岡野洋貴(おかのひろき)”1941年生まれで、住まいは川崎市の溝口(みぞのくち)である。何者と聞かれると今でも「昔の電気通信屋」と応えている。景観条例の対象となっている街道は、大山街道と言われる田園都市線と国道246号線に挟まれ並行している街道である。なお、この実施に至る経緯は「人」そのものである。登場人物が居るが原則として横文字のイニシアルで登場させることにしたい。

 私は結婚を縁として妻方の土地であるここ川崎市の溝口に一時居候のつもりが定住となり、さらに義父の比較的若い他界から妻方の家のマネージメントのために48歳にしてサラリーマンから自営業になり、紙と鉛筆の技術者から不動産や酒店の肉体的も含む仕事への転身人間となった。土地に幼馴染みも誰も居ない環境だったが、一時奉仕団体と言われるものに所属したが退会し、転身後10年ほどして商店街会長をやむを得ず引き受けざるを得なくなり、その数年後の還暦直後に街道の活性化や景観条例に取り組むことになった。その中で景観条例の実施には私の人生としては自発的にかつ一つの仕事に一番長い時間を使っている。

 この土地に住み始めてまず感じ、はっきり記憶していることは「街道に歩くところもなく、とんでもない土地に住むことになった、商店街だが会長以下皆何を考えているのだろう、でも一時の居候だからまあ関係ない」のようなものだった。その私が30年後その改善に自発的に取り組むことになったのである。後述することになるが何十という偶然の結果の取り組みである。

 景観条例の特長は、景観条例と言う中に「建物の壁面後退」を入れたことである。街道という当区の基幹生活道路で、車持ちなら皆利用する街道である。道路幅が6〜7メートルしかないのに、両方向でバスまで通る通りである。そんな通りであるにもかかわらず、人が歩く部分はほとんどない。車社会に入ってから、もう何十年にもなるのに地域も行政も何もしようとしなかった。そのようなことに取り組める法整備もされていない。そこで、景観条例の中に壁面後退を入れることを考えたのである。
注 「建物の1階部分だけでも歩行者の安全のために壁面を道路面から交代して欲しい」というもので、全面的なセットバックではない。

 この実施に至る経緯は「人」そのものであると前述した。私有地に制約を加える、また土地も高価な環境だから当然いろいろな人が出る。反対者も出る。しかし、実施に至れたのは「はっきりと賛成の意を示す賛成者、黙っている賛成者」が圧倒的に多いことだった。露骨に反対し、何とか没に持ち込もうとする反対者は約300軒の内、数名であった。人の優しさに触れ、世の中の優しさに触れ、推進への勇気となった。

 このようなことで、2006年1月に溝口区間、2009年7月に二子区間の実施に入り、そろそろ過去を忘れないための記述を開始する気持ちとなった。記述は徐々に追加・改善などして行くつもりである。今後このようなことはいろいろな「まち」で起こるだろうと思う。この記述は、賛成者にもまた反対者にも参考になるだろう。しかし、何故敢えて記述するかと言えば「ほとんどの人の心は優しい」を確信しており、心配はないと考えているからである。


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