津波と原発事故
それでは、事故経過を記憶で辿ってみよう。
- まず、ベント遅れだろう。電動でのベントは考えていたようだが、手動では考えていなかったようだ。マニュアルもなかったようだ。当然、訓練もしていない。ただ呆れるだけである。
(昔、通信機の輸出でアメリカ向けの製品のマニュアル要求に驚かされたことがあった。運用に入った機械を保守するために、いろいろな種類の技術者別にマニュアルを用意しなければならないのである。日本のシステムというものはこんな点では粗末であることを感じると同時に、何故アメリカではそんなことが出来るのか、と不思議に思ったものである、)
- 馬菅総理の現地視察、組織経験なき政治家・・・総理がヘリで原発視察をした。その時建屋爆発でヘリがあおられ墜落でもしていたら、総理は英雄になっていたのかも知れないのだが、全く馬鹿げた行動としか言いようがない。総大将が先陣を切ったようなものだ。理工科系と言えども学生運動にうつつをぬかしろくに勉強もしていない素人が行って何の判断・指示が出来るのか、それが組織行動学として正しいのか、など全くわかっていない。単独で選挙運動をやってきただけ、企業や軍隊のような組織に所属したこともなく、組織に無知の社会知らずとしか思いようがない。
電力会社とも激しくやり合ったようだ。これも同じようなものだ。任せるしか方法がないはずなのに、かき回し混乱させ、手遅れを招いているはずである。
- 水素爆発、炉心爆発でなくてよかった・・・冷却中の燃料から水素の発生があることは専門家は当然知っていたのだが、原子炉建屋にガス抜きの換気がなく密閉建屋だったことも驚いた。五重の防御などと原子力保安員が説明していたが、水素のたまりなどは「そんなことはあり得ない設計」だったようだ。万一を考えたシステムではないことは明かである。
- メルトダウン・・・1年近く経過して初めてメルトダウンが公表された。素人の私ですら、もし燃料棒が数時間露出したならば、いくら3000度に耐えると言ってもあの細いものだからあっという間に溶けるのではないか、と思っていた。露出しなくてもあの高圧の中では水の蒸気化温度は高まり、溶けるのではないかと思っていた。メルトダウンはないと聞いていたので疑いながらもホッとしていたが、やはり嘘だった。関係者は皆知っていたのだろうが、公表を遅らせただけである。
- 汚染水の漏出・・・柏崎刈羽の時も側溝などは相当傷みヒビなどが入っていたに違いない。あれだけの地震を受けた場合、コンクリート壁などは100%ヒビなどで漏れが生じて当たり前と考えておいて良いはずである。放射能に危険な場所は、二重溝やフレキシブル溝など考えられなかったのだろうか。
- 放射能の飛散の予測と監視の弱体・・・原発でも存在していたら、原発近くには密に、遠くになるに従い徐々に、と監視点を置くのは当たり前のことである。ところが、全国レベルではそんなこともなされていなかったようだ。原発システムに対する国と電力会社の怠惰であろう。もっとも、こんな風に監視点を置くと「やはり危険があるのではないか」と国民から疑われる。それを避けるために置かなかった、と言えるのではないだろうか。何か、コンピュータでの監視システムもあったようだがこれも満足に機能しなかったようだ。これは運用部門の怠惰であるだろう。
- ロボット開発の停止・・・ある時期までロボット開発予算があったが、打ち切られたとのことである。事故後しばらくして千葉だったろうか、ある大学のロボットがテレビなどで報道されていた。しかし、これは所詮おもちゃである。本当に事故対応が可能なものは、やはり製造業などで十分に検討され開発され改善されてきたものでなくては信頼性は低いだろう。開発予算の打ち切りは「そんなものを使うことはあり得ない、予算を付けておくと国民から”危険があるとの疑いを持たれる”と言うあり得ない論」だったのだろう。
- 素人の原子力保安員、学者・・・保安員は所詮ペーパー屋である。理屈は知り、希には現場や製造業者見学に訪れたりして、うるさいことは言っているのだろうけれど、設計したり製造したりで本当に苦労している人々ではない。所詮上辺のペーパー屋である。学者も似たようなものだ。電力会社も現場でやっている人以外は似たようなものである。それらの人々が、事故を振り回しているように思える。
- 総合対処部隊がない国と電力業界・・・こんな事故になると、一電力会社の手には負えない。手に負えるように要求したら、ある意味では通常は訓練以外何もしない人や設備が増え、電力料金は何倍かになり、国民負担が増し、国は疲弊してしまう。しかし、あり得ないでは済まされないのだから何とかしなければならない。そうなると、国としてどうするかである。
こんな事に必要な部隊は、報道でも目にしているように「大規模重機などを要し、危険や死も恐れない特殊訓練された人々」であろう。今の日本でそれは自衛隊以外はあり得ない。
それも国で負担が出来ないならば、原発はあっさり諦めるしか方法はないだろう。
- 被爆基準なし・・・あまりに強い放射線というものの影響は即刻死にいたると言う影響はわかっている。しかし、自然界の数倍、10倍、100倍などの影響は永久にわからないであろう。だからこそ、わからないにせよ基準を定める必要がある。このためには、思い切りが必要である。しかし、これは日本の官僚の最も苦手とし、やりたがらないことである。だから、チェルノブイリなどを経験しながら日本には基準がなかった、と思えてならない。
- 計画停電・・・当初の発表で「何と下手な説明をするものなのか」という電力会社の説明の悪さだけが印象に残っている。私は、電力会社説明を聞きながら、筋道を頭の中で再構築しながら理解した。
- 150ページにも及ぶ被災者申請書・・・法律など細かいことを考えればこれだけの分量になるのだろう。しかし、被災地の実状や年齢層などなどを考えれば、数ページである程度の補償金支給、細かいことは徐々に聞き取りなどで精緻化などのステップを踏むことが当然と思う。膨大な申請書類の様式制定に時間をかけ、その結果いつまでも補償のスタートに至らず、出てきたら150ページとは何だろう。電力会社のみならず国も書類制定にはかかわっていたはずである。何故誰一人言うことなくこんな膨大なものが出てきたのかには呆れはてる。電力会社を含めお役所と言うことだろう。常識がない。そこを反省しなければならないはずである。
「貴方はこれまで毎年どれだけ所得がありましたか、貴方の企業はどれ程の売上でしたか」くらいから補償交渉が始まってよいはずである。
- 政府議事録なし・・・1年くらいが過ぎて、事故発生時の議事録がないという問題が公表された。私は「アメリカほどではないにしてもある程度はある、しかし隠してないことにした」としか思っていない。いずれ出てくる、と思っている。
- BWRとPWR・・・福島はBWRである。燃料棒に直接触れている水を蒸気として、それを直接タービンに送る。水や蒸気が汚染されれば即放射能汚染となる。BWRが許される背景に疑問が残る。
- 制御室と冷却装置の位置・・・位置の悪さは論外である。事故の報道を見ながら、他の国の内陸にある原子炉は海水での冷却は使えない。では、と調べてみると空冷だった。だから、蒸気が出ているのかも知れない。自動車のラディエターのようなものを付けられないのか、と思っていたら、そんな対策も聞こえはじめた。
- 東海村の臨界事故・・・こんな事を書いている間に思い出したのだが、東海村の臨界事故があった。この時に呆れたことは、近隣の住民に対して「窓などを閉めて家から出ないように」と行政が指示したことである。臨界事故というものは重粒子線というものである。中性子爆弾である。地面でも鉄でも貫通する。だから「早く遠くに逃げて」と言うべきものである。国が一瞬にして指示を出せなかったと言うだらしなさや無知に呆れたことを覚えている。