地震と津波

  1. 大地震が発生した。人間は自然をコントロールは出来ないし、災害の規模などは過去の経験からこの程度だろうという予測の元に対策しているのだから大方は仕方がないことなのであろうと思う。しかし、こんな事がある。知人が「学者になった同級生が三陸沖を騒いでいたのだが、根拠がないのにそんなことを主張して、と教授になれなかった。しかし、震災が起こったら大変忙しくなった」と言っていた。

  2. 最悪の事態を予測してまちづくりなどを行えば、お金は際限なく増加して行く。必要なエネルギーも同様である。そんなことは出来ないのは当たり前のことであるから、ある程度の防御をし、人命を優先する措置しかないのは当然のことである。ある人に言わせれば「都市は危険を冒して住むところ」と言う。人が住む密度が高まれば、危険は増す。そこにいくらお金をかけても、危険は少々減る程度のことでしかないのだが、大変なお金がかかる。密度を下げて住んだ方が安上がりである。生産のないところにお金をかけると言うことは、それをどこからか産み出さなければならないということである。それは、国民や企業からである。そんなところに過剰にお金が投入されれば、国民も企業も疲弊し、最終的には国家も疲弊する。こんな事は常識であるのだが、利権にかかわる政治家・官僚達は、自己のために国民の疲弊を考えない場合がある。

  3. 地震・土木・建築に対する関連省庁や学者だが、波の合成と影響というものを真剣に考えていたのだろうか。今回は、短時間の間に大きな地震が3つ発生し、波の合成があった。それが予想を超える津波となったはずである。電気屋は昔から波の合成で送れる情報を増やそうとしている。電気屋にとっては常識が、その他の世界ではそうではなかったと言うことなのだろうか。その世界の研究は所詮は遊びだったのだろうか。電気屋は、波には異なる周波数(震動)が含まれていることを知っていて、それも機器研究や開発に利用している。震災後ある先生が得意になって「長周期波と短周期波によるビルの複合的な揺れ」を説明していたが、こんな事は電気屋なら誰でも知っていることである。複合波なら、一つの規模が5メートル津波でも、10メートルも15メートルも皆射程範囲である。
    建築関係者は、そんなことは知りながら高層建築を進めてきたのだろうか。お金が社会に回る、建築業者に回る、自分の利益に回る、税収も増える、と言うことなのだろうか。

  4. こんな事を知っているから、高層ビルなどは全く信頼性面から信用していない。お金もないが私は高いビルは建築しない。歩いて下りられる程度のビルにしている。ほぼ地面と一緒になって揺れるビルにしている。ビルの道路面からの基盤の高さも少々の増水では進入しないように高くしている。杭などは信用していない。免震構造も信用していない。原始的なものの方が、総合的な面からは絶対に強いと思っている。自分の住んでいる場所の海抜も知っている。
    マンションなど購入したこともないし、今後購入することもないのだが「購入するなら土台などの工事段階から検察していなければ買えない、いい加減なものも多い」などと人に話している。

  5. こんなことで「高台への居住、事業用地はやむを得ない場合は低い平地」というのが鉄則なのではないだろうか。重工業などは海からの運搬などを考えると海岸沿いの低い平地もやむを得ないだろう。しかし、国家の根幹を揺るがすような重工業の場合には、防御は厚くなければならないだろう。

  6. 水産業のような場合には、海からの距離は生産性に大きな影響を与えてしまうだろう。海から至近距離もやむを得ないのだが、必要最小限を至近になどの対策も必要だろう。

  7. 日本にまちづくりはあったのか、と言うことは以前から考えたことがある。東京の皇居周辺では後藤新平、名古屋などは知っている。それ以外は住民のなすがままというのが実態ではないのだろうか。

 

    不幸にも東日本大震災は発生してしまった。震災後の対応を考えてみよう。今までの震災は具体的な記録が弱いものであったが、今回は映像その他が多く残っている。記憶が薄れることはないだろう。

  1. 自衛隊は初動で力を発揮した。近場のヘリ基地が津波の影響を受けてしまったのは問題であった。基地の安全性はもっと考える必要はあるだろう。

  2. 行政の建物が被害を受けたことも問題であった。住民などが少々不便を感じても高台などを検討する必要はあるだろう。不便は交通で補う必要はあるだろう。ここで重要なのは住民である。至便性を住民が要求すれば答えは出ない。

  3. 行政が住民台帳を失ったのは、不思議だった。今は手書きではなく、コンピュータのデータなどとなっていて、所轄の機関だけではなく、県庁などにバックアップデータが、定期的に通信や媒体で保管されていて当然と思った。こんなものは地方行政のさぼりだろう。

  4. 通信手段だが、こんな災害ともなれば、有線の通信・携帯電話なども停止するのは当然である。市町村に衛星を利用した非常災害時用の携帯電話などが分散配置されているべきだろう。我が市だが、人口が100万人を超えると言えども、衛星電話なし・無線電話も区に数台のはずである。対策は大幅に遅れている。

  5. 小泉政権で土木予算が削減され、土木・建築業者が減ったらしい。その結果「非常災害時には対応能力がなくなる」という心配をしている人が居た。今回どうだったのかはわからないのだが、土木・建築に対する長期的・安定的な施策が必要なのだろう。

  6. 仮住居だが、神戸震災でも不足し「住居備蓄を訴えていた議員」が居るようである。何も対策されずに、忘れ去られたのだろう。住居の備蓄はかさばるし、金もかかるのだが、平均して県当たり1000も持っていれば全国で5万になる。一家族で100万円とすれば、5万戸で500億円である。しかも、10年単位で備蓄ともなれば1年で50億円、仮に一家族200万円であっても100億円、こんな金が出せない国ではないだろう。政治や行政のさぼりと言えるだろう。

  7. 集まった義援金がいつまでも配付できないという。今どうなっているのだろう。1年も経過したのだから、ほぼ100%配付と思いたいが、多分そうではないだろう。神戸でも同様だったろう。その経験から、きちっとした仕組みを構築しておくのを怠った結果だろう。

  8. 国からの諸対策予算だが、決まるのも遅かったが、多くの省庁の管轄に沿っての縦割りで40もあると言うことだった。こんな馬鹿げたことはない。総合で数本、柔軟に使えることが先決なのは言うまでもない。こんなところまで縦割り行政を振り回すのは論外である。

  9. おおよそ、政治家も役人も自衛隊レベルで「非常災害時の訓練」などを受けた人は居ないだろう。皆実質机上訓練だろうし、あれだけコロコロ変わっては身に付かない。今回のような震災では、自衛隊トップの下に、全部が入った方が余程よい。

  10. 国レベルでも地方レベルでも、この国にはシステム構築者や改善者が居ないのである。国にしても地方にしても、既存のシステムにしがみついて、疑問も感じず仕事をこなしている人が圧倒的なのだろう。まれに改革者などが出れば、疎まれ排除されてしまう。大阪の橋下知事(今は市長)のような人が10年など君臨し、頭の硬い反改革者を排除し、元に戻らない段階になるまで改革を維持しないと変わらない。改革が挫折でもすれば元の木阿弥で守旧派の復活となる。

  11. 再発防止などとは言うが、それが出来るのは優良企業だけであって、政治家にも官僚にも行政にもない。彼等は「再発防止に努めます」とペコリと頭を下げるだけで、それ以上は考えない。何故ならば、再発防止というものの厳しさも知らないし、異動で居なくなるし、国民は「喉もと過ぎれば忘れる」と思っているからだろう。日常に追われている国民は忘れる。忘れなくても薄れる。ここに歯止めをかけるのは報道なのだが、ある政治評論家に言わせると「報道の堕落」と言う。どうすればよいのだろうか。「外圧がないと動かない国」を思い出す。