《全体デザインの選択》
決して関係がないことではないので、ここでホール建築時のことを記しておこう。設計士のYSさんに設計のスタートを依頼した。YSさんは2つのデザイン案を用意していた。最初のパース(出来上がる建物を絵で示したもの)を見せられると、私はこの辺はいい加減でセンスもないので、どうとも思わず結構近代的なデザイン程度にしか感じなかったのだが、妻が駄目出しをした。この家は蔵が並んでいたのだから、蔵風なクラシックな外観でなければ駄目だという。それで今のデザインになった。
《市の認可でのトラブル》
外観を決めて、設計を進め、市に認可申請を出した。音楽ホールなど通常の建築ではないものがあるので、YSさんは半年ほど前から市の建築課を訪れ入念な打合せを実施後、申請を出したのである。市の担当者との十分な打合せが行われているので通常なら1ヶ月ほどで機械的に許可がおりて来るという。
ところが、2ヶ月程経過しても許可がおりてこない。そこで、YSさんに調べるように指示を出した。そうすると「基準に合わないので、このままでは許可はおろせない」と言われて帰ってきた。市はさっさと誤りを認めて当方にコンタクトしてくればよいのに、内部でごちゃごちゃやって居たのかも知れない。YSさんは憤慨していた。YSさんが相談していた担当者は異動し、その担当者の解釈ミスがあったという。
今度は私が動く番になった。役所とゴチャゴチャやっても役所は所詮のらりくらりだろうから時間がかかる。YSさんには過去の打合せ経過を資料にまとめるよう指示した。もう一つ、知り合いの市議会議員HS氏にこの状況を伝え、引き下がるわけには行かないので、手伝って欲しいと依頼した。HS氏からは、数日後電話があり「面倒だから自分のところに来て欲しい、市の担当課長も呼んでおく」と言うことだった。
そんなことでHS氏のところに行くと、担当課長も来ていた。単刀直入にYSさんが用意していた資料を提示し説明した。私も「こんなことで大幅な設計変更を余儀なくされるのならば、市を訴える」と追加発言した。すると「経過はこの通りである、しかし少々の変更をしてもらえないないだろうか」と言う逆提案をしてきた。YSさんが「基本的かつ大幅な構造変更はない」とその場で判断したので、この件はこれで決着し、その後はスムーズに許可がおりることになった。YSさんは打合せミスで都合が悪くなり担当者を異動させたのではないかなどと憤慨していた。
《後で聞いたことだが》
建築後、10年以上経って申請時の市の課長の後輩から聞いたことだが「当方への許可は大英断だった」との事だったらしい。直ちに反論はしなかったが、心の中では「こんなものが大英断なら、民間企業ならば大英断だらけ、役所の大英断とはこんなレベルのものか」と感じた次第である。
《もう三つ》
市との間では、もう三つ面白いことがある。申請時の図面の記述範囲問題、音楽ホールの運用、竣工直後の処理だが、これは書かないでおこう。