男性と女性
ホールの電話受けの一つに道案内がある。妻など女性の道案内には常にいらいらする。そんなことから、こんな記事を思いついた。
- ホールを開業すれば、道案内は出てくる。勿論、地図などは作成しているし、パンフレットその他にも掲載する。それを参考にして、利用者は自分のプログラムなどに地図を掲載する。
- 道に迷う人などが居るので、地図がわかりにくいのかと地図を改版する。ところが、迷う人は減らない。100人に一人か二人は駄目である。詳細な地図でも簡単な地図でも同じである。
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不思議に思っているとある時にテレビで「道に迷う人の番組」を見た。
- 10人ほどの人に地図を持たせ、歩いて15分ほどの先へ行かせる。迷って1時間かかる人も出るし、行き着けない人も出る。
- 今度は迷った人に地図の見方を教える。要は「貴方はアバウトでポイントをしっかり見ていない」と言うだけである。
- 別の地図で同様の事をさせる。全員が予定時間で到着する。
、とたったこれだけのことである。見る人がアバウトだとどんな地図でも駄目なのである。
- こんなことを知ってからは、地図の改版はしなくなった。
- ある時、ある利用者が「昨年一人迷ったと当方地図にクレームをつけてきた」。私は「どんな地図を書いても、100人に一人二人駄目な人が居るものなのです」と言っても、納得しない。男のヴァイオリンの先生だった。隣にいた奥さんは旦那に対して「いい加減にしなさい」と言うような顔をしていたが、こんな人も居る。ただ、そんな人は未だに一人である。この先生は以降当方を使わなくなった。
- 携帯電話が発達した弊害だが、地図も持たずに携帯電話頼りに来る人が居る。歩きながら「今何がみえる、今何番地だ」などと言いながら聞いてくる。歩きながらだから「今度は何がみえる、何番地だ」などと言っている。こんな事には「立ち止まって、こちらの案内をしっかり聞いてください」と制してから案内をする。何がみえる、何番地などと言われても、細かなものはこちらも知らないのでから、案内しようがないことも多い。あまりに変なところかのもののは「一旦駅に戻って、再度電話を」などと言う場合もある。駅から5分ほどの距離だが、1時間以上などと言う人も希にいる。
女性の道案内にいらいらする理由だが、
- 男性の場合には、重点ポイントだけを教える。だから、シンプルで相手の頭に入りやすい。
- 女性の場合だが、丁寧が最上と優しい気持ちからだろうが、重点ではなく細かな点までを教える。時間がかかる上に、重点がどこかもわからず相手の頭からはどんどんと抜けて行く。
- こんなことなのである。一言で男性・女性という問題ではないのだろうが、傾向としてはあるのではないだろうか。大規模なホールならば訓練された案内役でも置くだろうが、当方の場合にはそんな余裕はないので仕方がない。
もう一つ、重要なものがある。
- 当方は、小規模なクラシック音楽主体のものである。家族経営で他に仕事もあるものだから、ある限界を越えてお貸しすると当方の限界を越える。勝手だが、あまり当方の手間がかかるものにもお貸ししたくない。
- ピアノやヴァイオリンなどはっきりわかるものに対しては女性達での受付は許可しているのだが、わからないものに対しては私と息子がすべて判断することにしている。
- 私の場合も、息子が算入して半年もしない内にしっかりした判断基準を持つようになったのだが、女性の場合は20年経過しても全く駄目なのである。私や息子の場合には、知らない方には「どんなご利用ですか」と二言目には聞くのだが。女性はどうも駄目である。照明系はともかく音響系なども全く駄目である。まあ、私や息子が居て「わからない」と諦められる環境があるからであろう。でも、受付でそれは困ったものである。
さらにこんな記述も思いついた。
- 「男女の差」を一人劇でやる人がホールを借りた。
- 男は狩りに出て、滅多に出会わない獲物を完全に集中し捕らえなければならない、失敗すれば一家に食べるものがなく危機に陥る。自分の位置を常に明確に把握していなければ帰り道に迷う。男は「一点集中傾向が強い」と言うものである。
- 女は、穀物などの食べ物の収穫である。近場に出て「ここのよいものがあった、あそこにもある」と子連れでおしゃべりもしながら「分散型の特性」を持っている、ちらちらとあれこれと目に付くものだ、そうでないと穀物が発見できない、というものである。
- 男の性感帯はただ一つ、女性は何十個所などと言う話もしていた。
- 男はテレビに集中しているときに、妻から何か言われても、言われたことは頭を素通りしてしまうが、逆に女性の場合は素通りしない。男が衣類を部屋に脱ぐ捨てていても気にならないが、女性は先の穀物採取のように気になる。こんなものが頭に残っている。全部、一点集中と分散型の差である。
こんなことで、少しは女性がわかるようになった。男勝りの女性、女性的な男性などが居るから一概には言えないのだろうが、原始時代からのこのような役割分担は受け継がれていると言ってよいだろう。人類も当初は両性であったと言われている。進化で男女差が起こったようだからなのだろう。
NHKテレビもこの後男女差の番組を見たことがあるのだが、同じような内容であった。
これは更にこんな記述に続く。男性と女性がどこまで協調できるかと言うことである。お互いの特性を把握していないと協調しにくいと言うことでもある。
- こらからの地域社会は、定年退職した男性OBと子育てや家事で地域に残って居る女性に依存する、と思っている。
- 何故なら、優秀な男性の多くは定年まで世界や国内全体を相手にしてくれないと日本は困るからである。
- そうなると、特性の異なる男性OBと女性がどう協調するかがポイントになるからである。