行政や報道とのかかわり

  1. ホールを開業して間もなく、市の職員が訪れてきてインタビューを受けた。何でホールをつくったのか、などである。市民系の局だった。変なことをする人間も居るものだと興味を持ったのかも知れない。

  2. それが公表されると今度は総合企画系の部局から投稿を求められた。誌のタイトルには「官民協働」などの言葉があり、私は全く個人でやってもので協働意識などはない、と思ったのだが「まあ市の役に立つならよいだろう」と投稿した。それも企画誌となった。ここでは一つ市にかましておきたいと言うことで、関係ない文章「競争がない世界でも自己評価はできる、世の中は変化しているから1年前と今を比較して何も変わっていなければ退歩だ」を入れておいた。

  3. 情報を知った報道関係者が訪れてきて、いろいろな新聞に記事を掲載いただいた。宣伝費用もなくやっと建築したホールなので有り難かった。開業後2年ほど経過した時点で、ある新聞社が訪れてきた。何故ホールをと言うお定まりの話の中で「この家は相続税などで多額の納税をしている、それをわからないところには使われたくないので、自分で使ってしまう」と話したのだが、そのまま記事とされてしまった。やられた!と思ったが悪い気持ちはしなかった。同様な人は多くいるだろうと思い気持ちが良かった。

  4. 5年ほどして市の職員W市が突然数人で訪れてきた。話の内容は全く忘れてしまったが私のことだから市や行政への批判含みで好き勝手にしゃべっただろう。このW市と、その時一緒だったM市が後々我が街道を支援してくれることになる。

  5. 音楽会の開催は宣伝で大変である。大きな音楽会ならそれなりの宣伝費用を持つことが出来る。小規模な音楽会ではそんなものはほとんどない。駅に1週間掲示でもしたら、それで1万円となり、数駅に数週間とでもなったら、それだけで何もなくなってしまう。新聞に無料記事を出していただけるのは非常に有り難いことであり、今でも新聞各紙にはご支援をいただいている。

  6. ある時、訪れてきた記者から「いろいろ設備があるのに誰が管理して居るのですか」と聞かれた。ホール開業後2年くらい経過した時点と記憶している。思わず「私だ、ホールを設けると言うことで金の心配はしていたが、電気屋だからそんな心配はしたこともないし、頭になかった」と言って笑ったことがある。