間もなく竣工と立ち上がり
私は52歳、妻は45歳二人だけでの奮闘だった。竣工後「今まで各々が別々に奮闘という状態は何回かあった。二人でのこんな奮闘は生涯二度とないだろう」と話していたが、その後20年実際問題としてなかった。今は私70歳であり、こんな事をしたら死んでしまうだろう。
- 音響装置や照明装置はビル建築の中に含まれている。私が電気屋という安心感からこちらは設計士とその配下の音響屋さんと照明屋さんにお任せしていた。お任せしていたと言うより、そこまで細かく知識を入れチェックしている余裕など全くなかったと言うことである。電気屋と言いながら、音響装置や照明装置に対する知識は素人範囲であり、知識皆無と言って良い状況だった。
- 竣工1年ほど前から気になっていたのはピアノである。お金もないので外国製の中古のピアノにしようとした。ある知り合いの楽器商に依頼し、妻と娘を見に行かせた。ところが、手を入れて綺麗に直し調整するとは言うものの、20年ほどの中古ですら新品の70%程の価格だという。見た感じも心配なレベルだという。それで直ちに中古の購入は中止し、個人資金を会社が借りて、新品を購入となった。ドイツ製だったが、丁度このとき超円高であり、随分と助かったものである。ピアノの移動器具も注文した。偶然だが楽器商経由でYYさんと言う若手演奏家にピアノの選定もお手伝いいただけた。
この時はじめて認識したのだが、妻は娘はピアノを弾くとは言うものの、楽器に対する知識はほとんどなく、本当に選定すると言う能力はなかったことである。考えてみれば当然のことなのだが、私はこんなことも知らなかった。
- ビル竣工は1993年10月である。ホールは11月に開業を目指していた。8月に入り、そろそろ準備を開始しなければ間に合わない時期になった。
- お貸しする時間はどのように設定しようか?
- 値段はどうしよう?
- 案内もつくらなければならない。
- 受付などのフォーム、予約管理表などなど考えられるものは皆準備しなければならなかった。
- ホール案内はある名簿に基づいて発送した。
とにかく、他の引越もあったので、忙しい3ヶ月だった。妻と必死になってパソコンで資料作成などをしていた。
他のホールは全然参考にしなかった。調べている暇もなかった。おおよその投資額から考えることにした。
- お貸しする時間は、時間単位のちょこまか利用はやめて午前・午後・夜間とすることにした。ちょこまか利用はこちらが振り回されてしまうからであるが、これを通せたのは小規模とは言えホールらしきホールと言えたからだろう。
- 値段は、週の平日の利用が多少はある前提でシミュレーションして決めた。実際問題として平日利用はほとんどないことがわかったが、金利低下などで救われることになった。
- 予約方法だが最初から「優先」で決めていた。妻が過去からホールの抽選で苦労している。はずれた、また次、と言って計画が立たないからである。「計画的が早ければ計画的に借りられるホール」としたかったからである。計画性の高い人の方が、こちらも楽なはずである。
なので、オープン以降値段は基本的にはいじっていない。ちょっと変えた点は、夜間利用を少々お高くしたこと(夜遅くなりこちらも大変)、逆に当初は小物まで細かく料金をいただいていたが、こちらの手間などを考えほとんどの範囲を無料としたことなどである。行政の場合は、細々と請求するようだが、手間ばかりかかりメリッとなしのはずである。
- 建築会社から当方への引き渡し日になった。朝から、建物全体と各々の部屋とそこの設備、音楽ホールの設備などの説明を受けた。私は電気屋のはしくれだから、戦記設備・音響設備・照明設備など説明を受ければ概略は頭に入る。後は自分で勉強もできる。最初から無理だったのだが、この説明には妻や雇用者なども立ち会わせた。妻からは今でも「あの時は絶対わからない説明を受けて、必死になってノートをとり、記念品に残してある」と笑われている。ちょっと思えばわかることなのだが、私もそこまで気が回らなかった。
建物竣工などは滅多にないものだからもうないと思うのだが、こんな反省もある。そもそもこれだけのものを1日だけで説明を受けるなど所詮無理である。数日日程を用意し、今日は建物、今日はホール(特に音響設備や照明設備など)と別々に受けなければならなかったということである。こんな点では設計士も建築会社も随分とずさんなものである。複雑な建物などあまりないだろうから仕方がないとは思うのだが、一考を要する点である。
- ホール開業後、ある人の紹介で60歳の人を雇用することになった。この人の音楽関係の知識は相当なもので、非常に助けられた。この人が居なかったらと今思うとぞっとするくらいである。
- 私はホール開業で何かしなければならないとは思っていた。淡々と開業すればよいと思っていた。妻や設計士からやりましょうと言うことになり、ライブ系とクラシック系の二つの柿落としを実施することになった。ライブ系は設計士の方で手配してもらえたが、まあライブ系とは音響の設定などこんなところまでやるものか、そこまでやらなければならないものかなど、認識を高める一方で多くの疑問も湧いた。クラシック系は妻の友人のつてを頼りにして留学から帰ってきていた人にお願いした。こちらの方は妻の友人達が多数訪れてきて賑やかにしていただいた。
- こんなこともあった。ホールを開業して柿落としも終わり、これからと言う時期である。妻に「通常なら胃腸でもおかしくなるのだが何ともならないかった、緊張しているとこうなのかな」と話していた。その数日後下腹が張るのでトイレに行った。下血である。「大きな下血ならもうひっくり返っているはずだ、小さな穴で胃だろう、妻には風邪をひいたことにして二三日寝よう、人間には自然治癒力がある、血が出て血圧が下がれば止まるかも知れない、今休むわけには行かない、それで駄目なら本当のことを言って病院行きだ」と決めた。二日経過してもまだ下血している。三日目の朝になりトイレに行くと止まっていた。「直った」と仕事に戻るとしたら「顔色が黄色いわよ」と妻から言われた。それはそうだ。その1年後胃の検査をし医者から「これは何だ」と言われたので、話すと「死ぬよ」と言われた。「知ってはいたんですが」と応じた。妻にはこの頃やっと本当のことを話した。
数日後にはゴルフ場に行ったが貧血で目が暗み返ってきてしまった。酒は1週間後には飲み始めた。半月後にはゴルフもしていた。ただ血液不足は半年ほどは感じていた。酒を飲み過ぎると目まいがするのである。これが前立腺癌の原因となったように思うのである。
ホール開業後「こんなことをすると健康を害するから気をつけてね」と言われたことが二度あった。女性で私より10歳以上年上の方だったが、女性ながら自分で事業をしてきた人は良くお分かりである。