ある団体
ホール開業後何年かしてある芸術系団体への協力を求められた。
直接かかわっていないこともあるので、経緯は推測を含むこんなものである。
- 市が「文化白書」なるものを1年がかりで作成した。これもいい加減なもので、フォーラムを1回開催し、そこで出されたコメントや諸課題を羅列したものである。優先度など何もない。水増し文章だらけで何を言っているのかもわからない。役人の得意なこんなものである。
- その白書がまとまった後、また役人お得意の有識者会合が持たれた。私は加わっていないが、お役人と学者と民間人10人程で、2年で8回程度の記録が残っている。
- その答えの一つとして、ある文化(促進)団体が設立された。白書のどこを摘んだのかわからないような団体の設立である。2年で8回などはそもそもいい加減なものである。3ヶ月に1回ペースだから頭が熱くなることもない会合だったはずである。
- それだけで、白書は忘れ去られた。
こんな事で団体の設立が決まり、そこへの協力を依頼されたのである。ホール持ちだから断ることも出来ないし、何か協力できることもあるだろうと引き受けることにした。
- 設立間もなくは、事務局を中心にいろいろな準備に追われるから、それだけであった。
-
しかし、メンバーはこんなものであった。
- (補助金を出しているので)行政の目付役(と言っても係長クラス)
- 飾りが好きで何事も人にお任せ老人のトップ(民間)
- しゃしゃり出る事務局長(行政との接点を多く持つ民間女性)
- 行政の周辺団体からの参加者(大方静かな様子見の人々)
- 静かな民間からの参加者
- 私のようにうるさい民間からの参加者
- 事務局女性(大方事務局長採用)
と言う具合であり、メンバー構成から活動範囲というものは最初から限られていたと言えるだろう。
具体的には、
- 私は市の文化の層を厚くするために、かつその仕組みの構築や推進のために参加したつもりであった。
- ところが、運営会議はあるものの経営会議はなし=戦術会議ばかりで戦略会議なし、それを言ってもわからずだった。そんな経験がない人がほとんどだから仕方がないのかも知れない。メンバーを総入れ替えするしか答えはないのだが、そえもできないし、やるつもりもない。
- だから、事務局長提案での「今度は何かのイベントをやります、誰にお手伝い願えますか」と言うことが主体であった。私などそんなために参加したのでないし、自分の仕事持ちだから手伝いに出向くのは極めて少なかったが、こんな事では問題と間もなく思いはじめていた。彼女の手足になるつもりもない。
- 私は忘れていたのだが、補助金の交付は5年間という期限があり、それが来年打ち切られるというので、某財団の下請けとして「音楽ホールの」運営が市から持ちかけられ、結果的にはそれに乗ることになった。
- 私など「(そんなアルバイト仕事をしてまで団体を維持する必要はない)市に団体を返してしまえ、自分がホール持ちだから言うが運営は簡単ではない」と主張したのだが「(丸投げ)下請けがある。ピンハネできる」ということで乗ることになった。更に役人に使われるだけだし、邪道である。
- 私は、その期で退散と思っていたのだが、請われもう1期だけお付き合いすることになった。引き受けた以上、ホール実務を知る私が必要と思ったからである。案の定事務局は大変だった。運用の仕組みから、帳票など何の準備もなかったからである。これも4年で放棄することになったのだが、その2年前に私は退散してしまったので、事情は知らない。
この団体は今細々と活動しているようだが、私は全く知らない。
- 団体は、会員制度となっている。当初は、結構多くの会員が集ってきた。文化にかかわる人は結構大変である。衣食住外なので、ある種の人々には生活必需品ではないからである。
そんなことで、純粋に市の文化促進と思って入ってくる人はほんの一部で、大方は、
- 入れば宣伝してもらえる、
- 入れば弟子獲得の可能性が高まる、
- チケットを売ってもらえる、
など直接の実利を求めての人が多かったのだろうと思う。ところが、そんな実利はほとんどない。だから、やめて行く人も多かったのだろう。私など、ホールとして会費は払ってきたが、この団体を経由してちらし配付などコンサート宣伝したことは一度もない。