三現主義

 このように観察する精神や行動が、改善や問題解決を可能とする。これができないということは、厳密性に欠け他人任せや業者任せで問題解決もできない人間ということである。問題が早く解決しないので、お客も迷惑する。プロジェクトの問題や進捗なども内容を見るより、担当者と接触懇談し顔色を観ることが一番の早道だ。工程表の進捗などは表面的にはいくらでもごまかせる。
 機械がちょっと変な音をたてている。自分で機械の前に行き、どこからそのような音がしているか調べる(自分の能力範囲で)。それを修理連絡のときに知らせる。修理者は検討をつけて必要な部品を持ってくる。1回で修理を終える場合も多い。こちらの修理経費も修理時間も節約できる。お客も迅速な対処を喜ぶ。修理マンもつまらないことで何回も訪問したくないので喜ぶ。これがただ「おかしい」とだけ伝えたら、修理マンは大方2回以上の来訪となる。故障しがちな部品などは買っておく。修理マンが来るだけで済むので非常に喜ばれる(ただし、安い故障しやすい部品の話だが)。こちらも修理費が安くなる。目からだけではなく音にも敏感になることである。
 私がソフトウェア部門に居たときによく言われたことだが、ソフトウェアと言うものを理解していない上司からよく「ソフトウェアは見えないから(記述だけで)わからない、ハードウェアの工場はわかるが」とよく言われたものである。それで「ハードウェアの工場がわかるというのは錯覚です。正しく設計され、正しく製品化されているのかはわからないでしょう。ただ、物の組立が行われているから何となくわかった気になっているだけでしょう」と何回かからかったことがある。上司は不服そうな顔をしていたが、そんなものである。逆にプログラムの専門家に「ある機能を実現するためのプログラムをボーッと眺めても何かわかるだろう」と質問すると、自分ならこう作るというイメージがあるので、それからはずれているとおかしいのではないかと思うこともある、と言うことだった。
 こんな事も聞いた。ある製品はCAD(Computer Aided Design)という設計ツールを使って製品化しているのだが「人間が線を引けば常識的にこうする」というものが、そうではない、でも動くと言うものだった。ところが、経年変化事故を起こしたと言うことだった。
 「人はほとんどの場合ボーッと見ている、一部の真剣な人だけが観ている」と言うことである。