8つの指摘、他

 某企業に勤めていた。その企業は明治時代からの操業の老舗だったが、一方では古く悪い企業体質が蔓延していた。入社頃の同業他社との売上は大差ない状況と言ってよかったのだが、その後15年ほどで何倍もの格差を生じることになっていた。技術的な経営方針の違いというものも影響しているが、会社の体質というものの大きく影響していると感じていた。何とか会社が生き延びているのは、好調産業でおこぼれ頂戴ができたからであった。
 30代半ばに比較的新しい部門(ソフトウェア系)が管理者と担当共人手不足になり移籍したが、あまりの管理のひどさに呆れ、数年後の30代後半に「コンサルタントを雇い業務改善に取り組みたい」と事業部トップに申し入れ、年間予算4千万円を得て改革に取り組みはじめた。平均的な企業は製造部門以外、特にインテリ部門(技術部門など)に生産管理や品質管理は不向きと考えていたのだが、そこに組織的な管理を導入しようとしたのである。
 コンサルタントにもいろいろある。製造向きもあるし、非機械的なもの向きもある。技術部門としては後者に決めた。コンサルタントはヒアリングをしながら第1次レポートをまとめたが、最初に大づかみに強く指摘されたのが下記項目であった。内臓を変えて行かなければ筋肉は育たないよ、という内容である。



  1. 文書づくりの好きな体質
    (文書だけつくって満足したり、仕事をした気になっていても、何も具体的成果が出ないのだから企業から観れば何の意味もなく衰退してしまう。上が馬鹿で、下にごまかされて格好のよい文書に酔っているのである。お役所の全部署がそうは思わないのだが、使われている言葉や文章が抽象的かつ修飾的で何をいっているのかさっぱりわからないことがある。どんな言い逃れでも出来るように意図的に考えているとしか思えないのだが、随分と余計な神経や時間を使い無駄をしているものである。こんなものに出会うと馬鹿にされているようで本当に腹が立つ)

  2. 「仕事の見直し」と「無駄意識の少ない」体質
    (見直しから改善がはじまるのだから、改善に弱いといえる、だから無駄も出て生産性や原価率も悪い)

  3. 調整などに走り回る内向きな体質
    (調整など内部でロスしていることを自覚していない、内部ロス分は他社よりの遅れとなり、何の成果でもないマイナスである。上がそうだから下もそうなる)

  4. 部門意識が強く、コミュニケーションの下手な体質
    (同じ企業の中でも「××族」という表現で批判が蔓延しており、部門間協力体制が弱かった。部門単独では実現できない複合的な諸々が出てきているのに、これでは大きな事はできない。有能な人を送れず解体になった部門もあった。)

  5. 総花的で定着化の遅い体質
    (総花的な方が馬鹿上司は喜ぶ、ところが重点も曖昧だから、成果も出ない。易しいところや出来ることだけやって成果を上げたと発表する。上が馬鹿ならそれが連鎖する。重点志向が重要で、他のところも波及効果でいろいろ改善されて行くことを知らないのだ。また、一人の頭は一時にあれこれはできないものである。仮に文章が総花的でも重要度・優先度・効果度がはっきりされていて核心から手をつけることが必要だ)

  6. しつけが甘く、活気と自主性のない体質
    (出世は成果の結果と思うのだが、エリートと自分で思っている人間ほど、成果を出して出世するより、ごますりでの出世というムードが強かった。こんなことから一般的な人は、やってもやらなくても変わらない、それならば差し障りなく、となってしまう)

  7. もうけ意識の薄い体質
    (エリートほど出世目的の格好付け人間が多いから、このようにコツコツとしたところに、心が向かない人が多い。こんな会社で出世しても、会社がおかしくなり、首切り役に回り、最後には自分の首がとぶ)

  8. 持続性のない体質
    (格好・格好と続けていれば上が喜び出世するから、同じことを持続していないで、新しいこと・格好のよいことに向かう、それを喜ぶ上が馬鹿)

  9.  どんな組織にもある「程度問題」だし、人間集団では完全と言うことはないのだが、一言すれば「上が馬鹿なら下もこうなる」となる。これらは私の礎の一つとなっている。計画的部門や計画的人間というものは、どうしてもこのような事態に陥る可能性が高い。まして外部との競争の少ない組織というものはこのような状態に陥りやすい。お互いに傷をなめあっているのだ。一般的に、計画3で実行7程度の重みバランスが私の感覚では丁度よい。役所のある部門は計画また計画だ。実行中にも新しいことは思い浮かび補える。  1〜8を一生やり続けたら人生の満足はどこにあるのだろう。