タイトル | 本文 |
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【その他】 | |
《判断の早い年輩者》 | 歳をとるということはいろいろな経験を積んでいることで、かつ、惚けていなければ、その経験論理が頭の中にシナプスとして残っている。と言うことは、何か課題や問題が発生したときに、課題や問題と答えがあまり考えることなく直結することである。理由づけは後付けで大方はあっている。だから、正常な年寄りは短気になるのだ、と思っている。良い点もあるが悪い点もある。若い人はそのような論理を持たない。ここで年寄りと若い人のいろいろな食い違いが起こる。年寄りも待たなければならないし、若年者も多少は年寄りの特性を理解しなければならない。 |
《記憶力の低下》 | ある年齢に達すれば自覚できるほど、記憶力が落ちてゆく。この文章を作成中、犬と散歩に行く、あれも書いておかなければというテーマを思いつく。必死になってタイトルだけ覚えながら帰る。散歩から帰ってくると「何だっけ??」と思い出さない。 忘れっぽくなるから、メモをとる。メモをとっても、それを見るのを忘れるから、重要なものは机の前に貼っておく、そんな工夫が次々と必要で、それが出来る内はよい。できなくなれば、事業の中心は次の世代に委ねるしか方法はないだろう。 私はメモをとるのは得意ではない。書くのは遅いのと、漢字が不得意だからだ。であるから、大方キーワードだけメモをとる。帰ってきてから、キーワードを辿りながら清書する。最近は、パソコンに向かって打ち込む。こうすると、古ぼけた頭でも結構頭に入る。 でも、こんなのは馬鹿だ。テープを回している。それで、議事録を作成する。メモなら1時間で済むものが、テープでは会議時間を越える時間がかかってしまう。最近ある行政の委員会の委員をしていたら、これをやっている。しかも、委員の思い付き発言まで一字一句議事録作成している。そんなもの後になって誰も一字一句見ない。議事録のために何日掛けているの、それでは行政の効率化にはならない、効果もない、といってやめさせてしまった。行政の上は文章量で成果を観るようだ。水増し文章が多い。 人生は、次のdecadeへの準備の連続と思っている。例えば、70歳になったときの準備は、最低60歳からはじめる、ということである。この辺が最終時期だろう。80歳にもなったら、多分大方頭に入らないだろう。新たな習慣を身につけることなど不可能なのだ。 |
《頭が固まる時期》 | 日本人の英語を聞いて、外国人の大人が一番優良と感じる人は「20代前半に留学した人」なのだそうである。それ以前では、ガキの英語だろうし、それ以降も駄目なようだ。 最近はあまり知らないのだが、大学院卒業生は、使いにくいということもある(すべての人ではない)。これは単に専門が深くなって、他とレベルがあわなくなるということではなく、20代後半に企業の中で人と交じりはじめる、という年齢的な問題ではないかと思っている。 こんなことから、頭の固まる時期を若いときに意識することは重要だ。こんな経験をしたことがある。40歳頃、私は業務改革委員会の委員をしていた。私達の部隊は、昔から多人数で行う集団設計部隊だった。であるから、工程表・分担表・進捗管理表などを作成しながら仕事を進めてきた。一方、ある部隊は数人の設計で、右左の同僚と話せば済むような部隊である。そのような部隊にはそれらの表がなくても仕事を進めることが出来る。こんな風に育った人達だったが、年々開発するシステムの規模が大きくなり、数人でと言う規模ではなくなってきた。この部隊に、それらの表で管理しながら設計を進めさせようとした。ところが「俺達はそんなものなしでやってきた。これからもなしで出来る」と言い張るのである。その仕事結果はさんさんたるものであったのは言うまでもない。こんなことから、40歳になった大方の人の頭は完全に固まっている、と思うようになった。 一方では、自分はどうしたら、そうならないのかを考えるようになった。若い人には迷惑であろうが、この解決策の一つとして若い人と話すのは有り難いことと思っている。学校の先生は若い、頭も身体も若い、若い人と交流しているからだろう。 |
《変化について行っている年輩者、ついて行こうとする年輩者は尊敬できる》 | ある時、老人が「最近は若い人に気を遣って生活している、いやになってしまう」と話している。ふと考えた、当時50歳くらいだったが「尊敬できる年輩者はいる、威厳のある年輩者もいる、でもあの人達はそうではない」と。直ちに理由はわかった。社会の変化についていっている、その努力をしている年輩者、私以上の経験をした年輩者は尊敬できるのだ。変化の少なかった昔を過ごし、その時のイメージを引きずり、それを人に押しつける年輩者は尊敬できないのだ。自分も注意しなければ。 |
《日本語と横文字、他》 | 言葉はその土地環境や民族性で異なる。ある国の言葉では、この種の単語はきめ細かいが、別の種類はラフと言うことがある。生活環境や自然界環境が異なるからである。 私は、時々英単語を使い分ける。例えば、日本語で「要領がよい」と使うと、悪い意味で採られる場合がある。こんな時には「スマート」と使う。誤解は生じない。「identity」という言葉もなかなかピンと来ない言葉だった。中国人、韓国人という言葉もある。昔の人は日本の占領時代の影響が残っており、それを卑下するような意味で使っている場合がある。私は「中国の人、韓国の人」を極力使う。 日本語は木の分類には詳しいようだ。自然の豊富な日本では植物が多様で、植物が字を生んでいるのである。一方、イギリスなどではラフなようだ。日本では、ぼけ・ネコヤナギなどなどブッシュ状のものにも一般人が固有名詞を結構知っている。しかし、イギリスなどではブッシュとなってしまうということを聞いたことがある。勿論、学術名はあり専門家は知っている。 恥ずかしながら最近習字を習って知ったことであるが「国字」と言うのを知らなかった。漢字が日本に伝わり、その後日本で作成された字が「国字」というのだそうである。植物の名前に国字が多いそうである。 10年ほど前、ある韓国の留学生と話をしていて「歴史は消えないものだが、薄めるものである、過去のことにおいて国としての責任は感じるが私の世代は生まれていず個人としての責任はあまり感じない、これからどんどんと世代交代するのにいつまで同じ事を繰り返すのだろう」と発言したことがある。 日本人の英語が戦後50年も経過し何故こんなにだめなのかと思いながら自分なりにこんな風に考えていた「高度成長で経済的に豊かになり外人先生をいくらでも雇えたのに、赤ん坊は聞き・話すことから覚え、いずれ文字に向かう、外人先生で聞き・話すことを優先すれば意思ある子供は読み書きに自然に向かう」ということである。あるとき、英語教育の先生に出会ったので、これをぶつけてみた。先生は「数%の馬鹿教師を救うために、文部省はそれをやらなかったのです」と答えてくれた。何が何だかわからなかったが、私は大磯で5年生から津田塾出の先生に英語を習いはじめたのである。ほとんどが、絵を見ながら聞き・話すだった。ところが、週1回(多分)で意識がなかったものだから身にはつかなかった。後になって、何で貧乏な親がこんなことをと思っていたら、最近弟から「親父はY高だったろう、あそこは戦時中も英語教育を停止しなかったのだ」と教えられた。親父なりに、これからは英語が重要と考えていたのだろう。もったいないことをした。 会社時代、部下に英検2級と言うのが入ってきた。ところが、技術の方はさっぱり駄目なのである。それで「英語が得意なのは結構、でも我々は技術屋、英語は技術を行うための道具、我々で一番重要なのは技術」といったことがある。ほとんどの人にとって英語は道具なのだ。 |
《教養は重要》 | 年齢を経るに従って、いろいろな人との交わりが増えてくる。そこで教養というものの重みが増してくる。いやみなく自然に教養を醸し出す人は羨ましいと思う。教養の欠如はボディーブローのように効いてくる。稀にだが、知識は豊富だが、仕事上は普通以下の人に出会う。受身の人なのだろう。せっかくの知識がもったいないと思う。 |
《心理学は重要だ》 | 大学にはいると1年生で分厚い「心理学」の本を買わされた。何でこんなものをと思って勉強はしなかった。ところが30代になり管理職になり、こんなことが気になって本を引きずり出した。部活や集団設計という集団でもまれてきたので、違和感のあるところは見あたらなかった。こんなものは実地訓練しないと身につかないだろうから、読書だけでは解決できないだろうが、重要である。 |
《性格は相反する長所と短所を持っている》 | 「頑固である」というと悪いように思える。しかし「だから、騙されなかった」ということもある。 「積極的」というと良い印象を受ける。しかし、度が過ぎれば「軽はずみ」と言うことにもなりかねない。「決断が遅い」というと悪いように聞こえる。しかし、枯らす期間があったので「決断しなくて良かった」ということもある。ちょっと、脱線するが経験上は「時は金なり」と考えて、決断した方が有利にはたらくことが多かった。 このように性格とは相反する長所と短所を持っている。人を性格を一面でとらえてはならないと思っているのだが、これがなかなか難しい。自分で使い分けることも難しい。 |
《はじめの内は聞ける、時間が経過してからでは聞けない》 | 新入社員のとき「3年間は聞きたいだけ聞こう、言いたいだけ言おう」それを過ぎたら、少しずつ後輩の手前言葉に気をつけなければ、と思っていた。時間を経過して、そんなことまだ知らないのか、と言われるようなことは恥と考えていたからである。我々の時代は「就職して親の経済圏から独立しよう、直ぐに(初歩的な)仕事が出来るようにしておこう」だった。今は違うらしい。会社のことは会社に入ってから考えればよい、らしい。これでは日本の先が心配だ。 |
《一時に、一人に話す》 | あの人は信頼できるのか、を把握したい場合がある。その人に「(一応は)人には知られたくない話」をし、様子を見ている。噂が別の人からこだまのように帰ってくる。そんな場合、その人は信頼できない。 最も、テストだから本当の秘密話はしないし、漏れてもどうと言うことはない内容範囲でテストする。こだまの戻り期間は数ヶ月の場合もある。ちょっと、ずるいやり方だが、自分だけに止めれば誰も傷つけない。私は結構人との信頼関係を築くのには時間がかかる。簡単に人がわかるものではない。 |
《男と女》 | 「仕事中心」と何回か妻から言われたことがある。40歳頃、妻の父親は癌で入院、私の父親は脳卒中で重度の身障者、私は技術者と妻方の家の二刀流、課長としてプロジェクトのよじれで大変、子供達は小さいが、どこにも連れて行けない。仕方なく、妻が二人を連れて日帰り旅行、あるいは数泊旅行、などである。一生こんなことではたまらないが、ある一時は仕方がない。父親が競争のまっただ中で必死になって家計を支えているのに、ちょっとしたことで「省みない」と真剣に言われたなら「誰が食わしている、仕事がどうなってもよいのか」と返したくなってしまう。しかし、妻が家庭を守っているから、安心して仕事が出来る。であるから、全部が男の稼ぎとも言えない。 男女同権も困ったものだ。男には男の役割がある。女には女の役割がある。男に子供は産めない。男の方が筋肉は強い。男女同権とは、これらの特性を考慮した上での同権であるべきである。女性には今でも生理休暇などはあるであろう。これは周期的なものだ。しかし、いい加減な女性のとるこの休暇は不定期だ。キャリアーウーマンなら取らない人もいるかも知れない。学卒の新入社員女性から、SEをやりたいと言われ「10年我慢すればね」と答えたこともあったし、男女同権を言われ「それなら生理休暇もとらず、男と一緒に徹夜して」と答えたこともあった。 |
【好きな言葉】 | |
《ケネディーの言葉》 | 「我が親愛なる国民諸君、諸君は、国家が諸君に何をやってくれるかと問うのではなく、諸君が国家のために何ができるか、と問うてもらいたい」というものである。国家を家庭、会社などなどとすべての組織に置き換えて考えて欲しい。私が30歳頃に聞いたはずである。以降、この言葉は忘れないようにしてきた。会社など実務は皆下がやっているのだ、皆がそう思っていなければ会社はうまく行かない、と思っていたからだ。 福沢諭吉の本を読んでいると、似たような内容があった。150年も前に同じことを言っている人も居たのだ。 |
《国際会議で》 | ある検討で「今このような議論をして何の意味があるのか」という質問が開発途上国から出た。あるヨーロッパ人の回答は「我々は20年後にそうなると予測している。その時に混乱しないために今検討している」というものだった。このやりとりであっさり質疑は終えてしまった。先のことを考えていることがこれほど重要とは、その時は思わなかったのだが、5年10年と観察していると段々とそうなることがわかってきた。20年後に本当にそうなった(私は30年前に今のディジタル化社会の検討に参加していた)。 直ぐ先を考えることも重要だが。遠い先を考えることも長い人生や生活を安定させるためには重要だ。先の事を考えても仕方がない、という場合もあるが、それは一時のことで、それだけで人生を送るのは刹那的だ。 国際会議で参考になったことがある。発言者したい人は手をあげる。議長が指名する。議長が名前を知っている有名人なら「Mr.××、Dr.××」、私などは「Japanese Delegate」だ。それまでは発言できない。指名された人は「Thank you Mr.Chairman」を冒頭につけ発言を開始する。誰かが同様な発言をすれば別の人の手は下がる。最後はまた「Thank you Mr.Chairman」で終わる。実に効率的だ。日本の会議のように声が大きい人が勝つようなことはない。日本人は何故このスタイルを真似しないのかと今でも疑問に思っている。ひょっとしたら、同一民族の島国育ちなので、これでも何とかやってきたと言うことなのかも知れない。
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《本田宗一郎は》 | 「会社のために」というと怒ったようだ。「自分のためにといえ」と言ったようだ。これは合っていると思うのだ。「自分の(発展)のために」ということは技能を伸ばしということで、自分のためだけではなく、必然的に会社のためにもなる。会社のために、と言う場合は、体裁や胡麻すりの可能性もある。それらは会社を悪化させてしまう場合がある。 |
《早稲田商店会長 の言葉》 |
「親が地域を愛さないと、地域が荒れる。親が地域を馬鹿にしていれば、必ず子供や周辺の人の心に残ってしまう。学校も荒れるし、荒れた人間が地域に入っても来る」。こんな言葉だが、これはよい言葉である。 |