徐々に思い出す。切りがない。前のものの変更も大変だ。そこで、追補とした。ダブっているものもあるかも知れない。
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《有り難いお客様》 | 入社3年面に係長の下でちょっとした仕事のリーダーをやることになった。顧客の技術部門相手の仕事だ。課長と私で毎週設計の打合せに顧客の本社ビルに通う。相手は係長で、その席で打ち合わせる。その調査員が受身なので、こちらから、この方向なのか、あの方向なのかなどの提案を持って行くのだが、検討しておきます、といって意思を示すことなく会議が終わってしまう。 そんなことが3週間も続きそうになった。当然、納入期限もそれからの逆線表で設計期限もあるのだから「そのように懸案事項に対する決定が延びると設計が進まないので、早く検討していただきたい」と発言した。同席していた課長は「お客様にそんなことを申し上げて」と私を制し係長に平謝りだ。会議はそれで終わった。 課長と共に席を立とうとすると、顧客の課長(その係長の上司で;隣席で当方の会議状況を観察していた)から、私の課長に「ちょっと」といって声がかかった。私はその場を離れて出口のところ(20メートルくらいは離れている)で待っていたのだが30分ほど当方課長がぺこぺこ頭を下げている。「まずいことを言ったのか、でも当然の事を言ったまで、別件での話かな」など思いながら結構気楽に待っていた。 やっと課長が帰ってきたので「どうしましたか」と聞くと、課長は「君の部下が正しいことを言っているのになぜ当方に謝った、懸案事項が進まないことは顧客の責任でかつ、顧客が困ることがわからないのか、と怒られたよ」と言った。このときから、言い方には注意することとして「正しいことは例え相手がお客様でもきちっと言おう」と思うようになった。ただし、この顧客の課長は本当に真面目なよい人だったのだ。相手次第である。私の課長も、よく馬鹿正直に怒られた内容を私に伝えたものだ。私なら、別件で怒られたとでもとぼけただろう。 |
《未熟な人は「短い」ドキュメントを「簡単、内容がない」と考える》 | 天声人語、春秋などの記事は、文章の吟味が大変である。決まった語数でさしさわりなく、かつ言いたいことを書かねばならないからだ。 アメリカのエリートなどでは速読術訓練をしている人もいるようだ。本などを開き、斜め上から斜め下に対角線上を観る。それで次のページに進む。それでそのページの概略を理解する。重要単語を一瞬にして拾いながらの一種のパターン認識だろうが。そのためには背景に持っている知識に相当なものが必要だろう。 5分喋れと言われると大変な準備がいる、1時間と言われれば準備はほとんどいらない、ということもある。1分間スピーチ訓練などもある(私は経験したが)これも真なのである。天声人語と同様、筋書きや言葉の吟味が必要になってくるのだ。1時間のしゃべりは、筋だけ考えておき、尾鰭や事例を加えながら時間調整が自由だ。 今は知らないがホンダの「A4・1枚運動」というのがあった。ホンダの意思決定のトップ会議に出す資料は、どんな重要なものであってもA4・1枚に制限されているというものだ。これも人にわからせるための大変な吟味が必要になる。経験しない人は、短いほど簡単と考えてしまう。 自営業になってから役所文書に触れることが多い。テーマで内容もおおよそ見当がつく。ところが文章は膨大である。何で、こんな風に膨大になるのか分析してみた。
例を挙げれば切りがない。ある有料化実施の条令が通り、パンフレットが配布された。何度読んでもわからない。条例化した言い訳ばかりが目に付く。説明に来ると言うので説明会を実施した。話し始めた役人はまた「言い訳ばかり説明している」。そこで「今回の説明会は言い訳を聞く会議ではない、今後どう対応するかの会議だ、言い訳はたっぷりパンフレットに書いてある」と言って馬鹿にしてやったら、大いにむくれていた。 別の会だが、水増し資料づくりが明らかなので、事前の「短く薄く」と言ってやった。会合はその通りの資料が配付されたが、上に提出するものに対しては水増しドキュメントを作っていた。 役所文書というものは、とかく「見るものの時間を浪費させる」。駄目会社も同様だ。 |
《真のエリートは努力家・冒険家》 | また、顧客の人の話だ。その研究所にKさんという人がいた。超難関大学の理工系に入ったが、迷いを生じて教養学部を終えて文化系に、やはり理工科系と思い戻った。そんなことで2年遅れとなったが、会社の先輩は、久ぶりにまともなのが入ってくると喜んだようだ。この人とはいろいろと一緒に仕事させていただいた。 昔は、設計が終了すると図面を持っていって顧客とメーカ合同でデザインレビュー合宿する習慣があった。朝9時から夜9時頃までメーカ側から図面を説明し、間違いなどを机上で修正する。顧客のエリートも必死だ。翌朝、まだ寝ているのに庭で何か声がし続けうるさい。別のものがそっと覗いてみると、Kさんが声を出して英語の勉強をしているのだ。Kさんはフルブライトで高校生時代にアメリカ留学、入社後も2年間イギリス留学という人なのだ。 お供でジュネーブ出張したが、休みに一緒に旅行となった。ヨーロッパの列車は箱毎に行く先が違う場合がある。車掌に下手な英語で行く先を聞きもたもたしているとKさんが車掌にフランス語で聞き「こうだってよ」と言ってくれた。レベルが違うので腹も立たない。有り難うございます、と礼を言って「ところで、フランス語はいつ勉強されたのですか」と聞いた。Kさんは「NHKの朝6時のフランス語講座を半年間ちょこっと」と言っていた。頭もよいが、人並み以上の努力家でもあるのだ。Kさんはその後ある大学の教授に転身した。 中途半端エリートの定年は40代と考えた方がよいだろ。顧客のエリート族は40歳を過ぎるとそわそわしていた。自分がどこまで出世できるかわからないほど馬鹿ではない。天下りを考えはじめる。よい行く先が見つかれば決断する。選り好みし待ちすぎるとよい結果とはならない。民間企業でも、こんな覚悟を持っていた方がよい。 同じ企業の別のエリートMさんの話である。この人も超難関校出だ。大きな仕事を自らの発想で興し、推進していた。支援者もいたのだが、あんな方法は挫折するという反対者もいた。私の上司などは、その先鋒で出入り禁止を宣言されたほどだ。やはり海外出張で、休日に偶然二人が同方向に旅に向かうことになり一部お供した。夕食をしていた。Mさんから「今の私の仕事の成算はどう思いますか、自分は確信を持っているのだが悲観的な人間も居て心配になることもある」と聞かれた。「私の技術的な育ちから観れば、何も根本的な問題はないと思います」と応じて、いろいろと話をした。「そう観察しているメーカの人間が居るということは心強い」といっていた。この仕事は2年後問題なく終わった。私の上司は出入り禁止状態だった。 |
《真のエリートは作戦家》 | こんどは、超難関校出の別の人の話だ。Oさんである。Oさんが議長を務めるある国際会議でいろいろな案が各国から出された。これを一つに絞り込む必要がある。Oさんは、どの案がよいかは個人的に確信を持っている。こんなときに「観ていて下さい。技術的に類似の2グループに分けて、このグループとこのグループをグループとしてまな板にあげる。そうするとこのグループが残り半分は消える。今度は、残ったグループ内の細かな違いに目をつけ、このように細グループ化し、まな板にあげるとこれが残る」と作戦を話してくれた。会議はその通りに進捗し、スマートに結論に至った。前の人も含め、真似はできないが、こんな人と接点を持てたのも会社のおかげであり感謝し、その後の諸々の参考にさせていただいている。 |
《計画なくして変更なし》 |
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《自転車では自動車に追いつけない》 | 上司と言っても重役相手だったが、設備を買ってくれない人がいた。それがないと設計の生産性が落ち他のメーカと互角にできないのだ。技術的説明をしてもらちがあかない。今の設備を改良して何とかならないかと言い返してくる。 ある時、その重役を含み外部コンサルタントと一緒の会合があった。その会合で設計生産性の話の議題に移ったときに「自転車を改良して自動車に追いつけというのは所詮無理な話である」と発言した。重役は真っ赤と言うほどではなかったが、コンサルタントの前で会社の恥をさらされたものだから、赤くなった。翌日、直属上司に「あんな会議であんな事を言われて」と電話が入ったようだが、設備は導入することができた。 |
《予算はダイナミックに使うもの》 | 「予定は予定にして確定にあらず」ということがある。予算も同じだ。予算を絶対に正確に守ろうとする馬鹿がいるが決してそうではない。自慢するつもりはないが、以下を記述しておこう。人間だから趣味的な面が多少はいることは仕方がないし、他人から見ればそう見えるかも知れないのだが「仕事に直接必要なものには可能な限りお金を使う、間接的に必要なものには必要最低限のお金を使う」ということを原則としているつもりである。会社の仕事での車の必要性は少ない。この家では車より事務用機器の方が重要である。 我が社にはこんなものはないが、会社には研究開発予算がある。成果が出て会社の売上や利益に直結するものではないから、研究開発予算は経費として落とすことが認められている。しかし終わったら廃棄しなければならない。勿論、会社全体としてある範囲内である。この予算で、試作機を作ったが見込み違いでお金がかかり過ぎてしまった。試作機といえども作った結果、もう少し改良すればそのまま現場で使えるものだった。作ってくれた協力会社も赤字、当方も捨てるのはもったいない。そこでこんな事を思いついき、実行した。
こんな話しもある。 「自分の管理下の設計システムの一部装置と海外に納入した同種の装置の一部に老朽化しているものがあった、自分の管理下のものは稼働を一時止め、その装置をオーバーホールすることができるが、海外のものは止めることになりできない」こんなことが気になっていた。 こんなときにある他の部の予算が余りそうな気配になった。これを上司は上に返そうとしたのだが「自分の管理下の装置はオーバーホールで済ませるが、海外に納入したあのシステム(私には全く関係ない)の一部の装置に老朽化が進んでいる、その装置のメーカは装置は製造停止にするといっている。保守用が調達できなくなる。言い訳はできるので、余った予算で今の内にその装置を予備として買っておこう」と提案した。上司は「俺には関係ない」と反対したが、押し切って購入し、私の部署に保管しておいた。 3ヶ月後、別の事業部の仲の良い先輩部長(海外納入のものを管理している)が「海外であの装置が動作不安定になった、今すぐあの装置をくれ、経理上の措置は当方でやるので一切迷惑をかけない」と駆け込んできた。即、装置は渡してしまった。ものすごく感謝された。直ぐに、予算の流用を反対した上司のところに言って「あれはもう海外にいってしまいした」と話した。「お前も結構いい勘をしているな」と不機嫌な顔をしながら言っていた。 |
《何かする前に環境と道具を調える》 | 大工が刃物の刃を整えないで作業に入ったらどうなるのだろうか、いろいろな仕事(肉体的仕事に限らない)で道具も整備せず仕事に入ったならばどうなるのだろうか。環境も道具も整備せず、仕事に突入してしまう人間は以外に多いと思っている。それが自分一人に影響があるならば、自分だけが損をするのだが、その環境や道具が集団で使うとなると集団全体が損をしてしまう。私は仕事に突入する前に、環境と道具を考える。全体の効率をあげるためである。 卑近な例として、掃除がある。掃除機の中がもうゴミで一杯で、重そうなうなり音を出している。吸い込みが悪いので電気も時間も余分に使い清掃度は悪い、という状態になってしまう。しかし、掃除機に関してはほとんどの人がこんな状態でも平気で使用している。 |
《無くなりそうになったら補充》 | もう何かが無くなりそうになっているのに、補充を考えず、無くなってからあたふたする人間も以外に多いものである。損をしているのを知らないのだ。無くなりそうになったら補充は緊急ではない。だから何かのついでの時に、あるいは時間に余裕があるときに手配している。仕事への影響はない。ところが、無くなってからあたふたは、それがなければ仕事が進まないのだからあたふたなのだから、急いでいる仕事を中断して買いに走るなどしなければならない。簡単に手に入るものなら良いのだが、そうでなければ仕事は手にはいるまで完全中断である。繰り返すが、損をしていると思わないのだ。 コピー機を使おうとすると完全に紙切れになっている。こんな時は「カチッ」とくる。偶然0枚になっていることもあるのだろうが、大方は前の誰かが気付いているはずである。「余分にコピー枚数を指示し、1枚たりなかった、まあいいや」で立ち去ってしまう。こんなのも「後工程はお客様」精神ではない。私は特に何もないときには、たっぷりと補充しておく。もう20年も前のことだが、私の友人が「最近は良い大学を出たやつほど駄目だ、この前結構な大学卒の後輩が前にコピーをしていて紙切れになったのだが、俺が待っているのを知りながら平然と立ち去ろうとしたので注意したら、私の範疇ではないと立ち去ってしまった。すると、それを知った別の後輩が来て補充してくれた」と怒っていた。 |
【人と組織】 | |
《職業は苦しくて当たり前》 | 人間だから逃げ出したくなることもあって当然なのだろうが、職業と言うものは次の論理を辿るだろう「好きだから専攻した、専攻したから職業になった、職業だから食わねばならない、食うからには努力・競争しなければならない、それは楽しくも苦しくもある」と言うことであろうと思っている。フリーな人が、最初の、好きだから専攻したが「好きではないが専攻した」となると大きな人生の基本問題である。家の家業を継承せざると得ない人もいる、私も途中で路線変更したのだが、技術者としてやれるだけのことはやったので満足している。それ以上技術者としてやっていても、ほとんど進歩はなかっただろうから。 趣味は楽しい、しかしそれで食おうとしたら大変であるのは直ちにわかるだろう。 |
《好きと出来るは違う》 | 「好きだから」と言って「出来る」わけではない。「出来る」からといって「嫌い」の場合もある。「好きで・出来る」のが最もよい。昔の会社やそのお客様で有名学校出の人と結構交わりがあったのだが「好きで・出来る」は以外に多くはなかった。恐らく半分以下だろう。私は「まあ好きで、まあ出来る」程度だったのだろう。 |
《勘の働くものが管理者になれる?・全体を観る習慣》 | 経営や管理者には極めて重要なことだ。経験からそのようになるのか、勘が働くから管理者になれるのか、わからない。恐らく両方なのであろう。すなわち、頭と勘の働く人間だから出世する。そうなると、訓練で益々頭や勘が働くようになる。何か部下に仕事をさせている。あの人間は能力的に注意する必要がある、あの装置の状態はどうか、何か問題点が発生しないだろうか、あそこはどうなっているのか、などなど思いめぐらす。全体を観ているのだ。こんなことで、問題が起こる前に発見できることがある。管理者は実行能力もさることながら、予知能力も極めて重要である。勘も予知能力も無い人間は、ロボット人間である。家に帰っても寝ていてもボケッとしているときも仕事を思い出すことがある。時々、俺は一切そんなことはないと言う人間もいるのだが、私はこのような人間は好きではない。普通の人間なら程度差はあれ、思い出すだろう。 ホールの仕事で、お客に説明し引渡を終えて、照明を観る、ホワイエの方に向かう、客席の一番後からホール全体を観る、ピアノが曲がっていたり・スピーカが捻れていたりに気付く。両トイレを除く。こんなことが言っても誰も習慣にならない。所詮、全体を観る能力のない人間、使われている身の気軽さや無責任なのかと思っている。 |
《権限は奪うことも必要だ》 | 駄目上司が上に座り、保守的で思うように先に進めないことがある。こんな時に権限や責任はどんどんと奪う行動に出ることも必要である。譲ってくれないと待っている必要もない。組織全体や会社はドンドンと後れをとって行く、それを更に上がわからないのだから仕方がないだろう。難しいことだが、こんな事も必要だ。 |
《面倒くさがり屋が良い時も》 | 私は面倒くさがり屋である。学生時代などは土壇場までやらなかったのだが、企業に入るとそうも行かなくなり、結構前倒し処理屋となった。しかし、根本は変わっていない。 いろいろな仕事で、常に何でこんな馬鹿馬鹿しい処理をしているのだろう、さぼることは出来ないのかと常に考えている。どうすればさぼれるかを考え編み出す。これは結果的には合理化や効率化になる。 40歳くらいから、ソフトウェアの生産技術部門を設立し管理することになった。事業部門にソフトウェアの生産性向上を促すための諸方策やツールを提供する部隊だが、人に生産性向上を促す以上、自分達の生産性向上も考えはじめた。
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《組織の階層数と名刺》 | 昔、私が40歳くらいのときだったが、何だか名刺の組織の表示の階層数がやたらに増えてきた。会長から平までを数えてみると「会長・社長・副社長・専務・常務・平取締役・部門長・部長・課長・係長・平社員」の12階層であった。上が小刻みで下はラフである。偶然手に入った私の会社より一桁売上の多い会社の階層を調べると9階層で愕然とした。 単純にそうは言い切れない面もあるのだが、階層が多ければ、風通しが悪くなり、非効率になる・情報が遅れる・意思決定が遅れるなどの悪い面が多くなる可能性が高まる。こんな具合だったので、名刺は会社の指定通りに組織名をだらだらと印刷せず、頭と尻尾即ち会社名・事業部名・部名程度で済ませておいた。 入社して数年経過した人で、優秀(技能的にも人間的にも)な技術者は、お客の担当が若ければ、一人でその担当(NTTなど)のところに出向かせることができる。こんな時には名刺が欲しい。ところが会社には主任制度がなく、ある時期には経費節減のために、課長以下は名刺をつくれない時期があった。 効率化のために、主任格の人間を一人でお客のところに行かせたい場合もある。そこで、他の経費を流用して、また勝手に「君は主任格でよい」として、どんどんと名刺作成をした。部下は、その名刺を持ってどんどんと一人歩きだ。いちいち係長や課長がついて行かなければならない、ということも少なくなった。 上から、勝手に名刺は困る、と言ってきたので「効率化になって、実際に給料は違わなくても、主任や係長の名刺を持たされモラルもあがっているのに悪いことはない、名刺作成代は安いものだ」と応じた。他の課も真似をし始めた。 わかっている人間間では「俺達は名刺の世界、肩書きがなくなれば誰も相手にしてくれなくなる」などと笑い話をしていた。肩書き付の馬鹿人間は、それが全然わかっていないのだ。そんな人間に限って、肩書きがなくなると見るも気の毒なほどしょぼくれている。肩書きが無くなっても、立派な人が居る。人の寄りつきも前と変わらない。そのような人はそれなりの人格者だ。 大体、組織人はこんな経過を辿る。入社し能力を発揮し、昇格し、部下も徐々に多く持つようになる。しかし、ある年齢を境に徐々にあるいは突然に肩書きが落ちたり・はずれたり、部下もいなくなる。だから「最後は一人」を若い時から自覚しておかなければならないのだ。そう自覚すれば考えることも違ってくる。大きな会社で社長・会長まで登りつめても同じだ、一人になるまでの時間が長いだけだ。その時に何が出来るかが、人格や教養だ。 |
《会社が大きくなり放置すれば質は落ちる》 | 会社が大きくなる。教育訓練などの仕組みは同じである。そうすれば、会社の質は落ちる。言わずもがなであろう。人の成長には時間がかかる。先へ先へと予測した教育訓練を行わなければ手遅れになる。中途半端に大きくなった段階で質の低下に気付いたときは大変な苦労が伴う。 |
《ある社長の言葉》 |
いろいろな人が、人生で成功を収めている。大きな成功が頂点に達するまでには20年かかるそうである。理由を聞いたことはないが、事業のスタート、外部から信用され拡大、収益の増大などには20年が必要なのだろうと思っている。そのようになるためには、30代でないと無理なように思われる。成功者は50歳くらいにはかなりの状態に達している。そこまでくれば、片腕となる番頭もできている。もたもたな私のように、この年齢でも経営から小使いまでではなく、経営者らしく振る舞うことが出来る。 《会社は公器、公私の分別が必要》 会社は公器である、という言葉がある。当然のことなのだが、会社が大きくなれば社会的影響も大きくなる。であるから、公器なのである。 裸一貫で会社を興したり、先祖譲りの私財産を使って会社を興し、大きく発展するということがある。社会一般から資本を集めと言うこともあるだろう。 どんな場合でも、公私混同はまずいのである。公私を一体とするのは、絶対にやめるべきだろう。 仮に小さな会社を大きく発展させても、私資産と会社資産は切り離し、その人の人生の最終段階では、会社への貢献より得た私資産に依存した生活になるべきだろう。保身だが、最悪というのだろうか、会社がおかしくなった場合でも、個人資産には影響が及ばず、次の世代は何ら影響を受けることなく済むような状況にしておくべきだろう。ただし、あまりにも大きな個人資産が残っているのも会社を食い物にした結果であり問題だろう。 |
《人との不一致当たり前》 | 芸能人などの離婚会見で、性格や価値観の不一致などを簡単に口に出している。変なことだと思う。それらが大方一致していると双方で思ったから一緒になったのではなかろうか。であるから、ひどい不一致はなかったのではなかろうか。であるから、離婚はわがままと思えるのである。芸能人夫婦の場合、双方とも同等の生活力がある場合がある。それがわがままを助長してしまうのではないかと思う。 そもそも、正常な人ならば自分のだらしなさが気になったりいやになったりすることもある。自分自身いやになることもあるのに、何故他の人をいやにならないことがあろうか。AさんとBさんは合う。BさんとCさんも合う。でもCさんとAさんは合わない。と言うことがあって当たり前である。余程合わなければ仕方がないが、集団というものは、こんなものを乗り越えて活動するものである。 |
《人に使われるのはいやという人》 | 何回か若者から「人に使われるのはいやだ」と聞いたことがある。その度に「天皇陛下でも国に使われ、かったるいときでも国事をこなしている、いやならば人も使うな、南海の孤島にでも行って一人で生活をしろ」などと言っている。使われるのはいやと言って、独立しトップになったとしても親会社などがあったり、顧客には使われ、人に使われている以上に気を遣う場合がある。しかし、集団は苦手という人がいる。それは仕方がない、集団でなくとも出来る仕事はある。使われるのがいやと集団は苦手とは違う。 |
《急ぎの××が多いのは、いろいろ悪原因がある》 | 昔は、情報機器も幼稚だったし、持っていない人がほとんどだった。情報機器の進歩により、迅速に便利に情報をやりとりできるようになった。この結果、駄目になっている人が非常に多いのだろう。現在は環境も異なっている。しかし、失ってはいけないものがある。
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《コピーは害になっている場合もある》 | 安直にコピーがとれる。資料が氾濫する。配られても見ない人も多い。 自宅建築の時だが、昔ながらの頭領に依頼した。ある程度の家を建てるのに、いわゆる施工図は2枚のベニヤ板に書いた柱の位置だけである。勿論、設計士の書いた設計図は別にある。こんなもので、よく家が出来るものと思った。大きなミスもなく何とが出来上がった。このとき、ハッと思った。昔の人はコピーもないから弟子達は書き写す。その間に結構なものが頭に入ってしまう。書き写したものは、忘れないためと確認の目的となる。現代人は、馬鹿になっている場合がある・頭に入れるのが遅くなっている場合がある、などと思っている。 |
《過去や一生がよかったか悪かったかは、過ぎ去らないとわからないもの》 | まだ、定かな意識があり、かつ死ぬときに、自分の一生は良かったのか悪かったのか後悔が残ったのか残らなかったのか、などなどが複雑に去就することになるだろう。でも、こんな単純なものではないだろう、などと思う。 次の世代のことはわからない。次の世代が自分の世代、またその次の世代と考えてくれるほかはない。 |
《少子化は大変》 | 弟が商社に勤務していた時代こんなことを言っていた。「ウオッチは所詮金物はこんなもの、いくら精密加工製品と言っても、この生産自動化の時代いくらの値段でもない。原価は非常に安い。1億人の人口が買ってくれ儲かり、いろいろな商品テストができるのは1億の人口のおかげである。 ヨーロッパの多くの国で日本ほど人口を持っている国はない。だから、EUなどといって連合し、ある面での統合策を実行しようとしている。国が違えば意思を統一するもの大変だ。中国やインドは多くの民族による多くの人口を抱えている。だから、ベクトルをあわせることが難しい。日本は程良い人口なのではなかろうか。 今は少子化の時代である。これは、十年後には大変な問題として効いてくる。数年後には人口が減り始めるのだ。バブルの崩壊で経済がどんどん地盤沈下しているより始末に負えないだろう。あるテレビで、厚生省の年金担当者が「独り者や子供の居ない夫婦は年金・税金を余分に払ってもらわなければならない」と発言していた。当然だ。人の子供の世話になって生活し、あの世に行くまで人の子の世話になるのだから。 こんな事を書いたのは2000年頃である。 |
《突然の来訪》 | 《某業者》
当事業が世話になっている某業者だが「××ですが」と企業名だけ言って電話が入ってくる。その度に「どなたですか」と聞き返していたのだが一向に直らない。そこで「昔は小さく、声を聞けばわかった。今は、人数も多くなりかつ人の交代も多くなり、声を聞いただけではわからないことが多い、××会社の△△です、というように会社の朝礼などで注意して欲しい」と伝えた。そもそも、会社名だけ伝えて相手を呼び出すのは失礼なのだ。 地域では、結構重要な案件なのに突然やってくる人が居る。最近は結構減った。そんな来訪でカッと来たときには「お帰り願う」か、何とかなる場合は「貴方は貴方の都合で来た、今の私には私の都合があるが変更してお会いする」と言ったケースが何回かある。私しも突然訪問するときがある。こんな時には「近くまで来たので、もしお時間をいただけるならと思いながら来た」ことを必ず伝えていた。別のところで示した,ある人を、こんな事で夕方5時頃訪れたら「明日早朝外国行きで、今提出資料作成中、3分だけあげる」と言われ、3分だけいただき有り難く帰ってきたことがある。 |
【その他】 | |
《買い取りとリース》 | よく業者がリースですから経費で落とせます、と言ってくる。こんな時には、何をいっているのだ、と思う。両方とも経費で落とせるのだ。正確に言うならば、買い取りは減価償却で経費となる、リースは直接経費となる、という差だけのことだ。多くの馬鹿セールスマンはこんなことを知らないのだろう。 私はお金があるときは極力買い取りにする。ただし、ほとんど故障しないもの(今のものはほとんどこうだが)を原則としている。購入費は6割掛けというようなことが多い。リースの場合は、正価で月当たり2%程度のリース費を支払わなければならない。5年リースなら約2%×12月×5年=120%となる。買い取りが60%なら倍払うことになる。こんなことも積もり積もれば大きくなる。リースしたものもあるが、これも大方再リースで使えるだけ使う。 |
《どちらが絶対よいということはない》 | 会社を辞めるときに「自営はいいな」と言われ、地域にはいると「サラリーマンはよかっただろう」と言われた。布地で言えば縦糸と横糸のようなもので、どちらがよいというようなものではない。大きな組織の中なら、ある範囲の仕事をしていればよい、しかしいろいろな摩擦や出世競争もある、小さな自営なら経営から便所掃除までだが、ある面ではマイペースだ。つまらないことに気遣う必要なはい。 自営になるのはわかっていたので、課長になってからも「部下に命令しやってもらうだけ」となるのは避けた。課長には「10秒課長などという人もいた」何か外部から情報が資料で入ると、タイトルだけ見て部下に委託するのだ。私は、自分の頭のわかる範囲までは見ることを原則としていた。一部は部下に教えてもらいながらやらせてもらった。一度、上辺の管理に慣れてしまうと、自営に入ってきつく・かったるくなってしまうからである。中年になれはハードフローは特にきつい(hard flow;例えば、営業から技術屋になるのは大変だ、これをhfという、技術者から営業は容易な場合もある;これはeasy flowという)。 自営になって50歳くらいの頃、酒屋の配達をしていると、昔の良き上司に出会った(溝口の子会社の社長をやっていた)「何をしているのだ」というので「酒屋の車を指して、配達ですよ」と笑いながら応じた。別に恥ずかしいとも思わなかった。それだけではないのだから。 |
《ある年齢までは同じ歯車》 | 何で大手企業に入るのだろう。給料がよいからなのか、安泰だからなのか、これは違うと思うのである。「何がやりたいか」であるはずである。 大手企業にいても若い時代は、小さな歯車で、段々と大きな歯車になって行く。勉強し我慢しということで成長や経験を続け40歳にでもなれば大きな仕事のリーダーができる。俺が中心になってやったという自慢出来るものができる。 小さな企業の場合は、そうは行かない。所詮小さなものだったり、永久に小さな歯車かも知れない。自分の能力なりのある規模のものを目指すなら、それなりの会社に入らなければならない。それがなければ、どんな会社でも似たり寄ったりである。 |
《若年寄になるな》 | 同年輩に若年寄がいた。何かにつけて達観したような発言をする。皆が議論しているのに冷ややかに眺めている。上司を打ち負かしても突破しようと思っていると、そんなことしたってとにやにやしている。それで、それから会社で出会うと「よう若年寄!」と声を掛けることになった。彼は笑いながら「やめてくださいよ」と言っていた。 若い内からこんな風になるのはまずい、若い人にはこれからの可能性を追求する目の輝きが欲しい。目は口ほどにものを言い、目でわかる、ということがある。目の輝きを見れば、大体がわかる。若年寄は嫌いだ。 若年寄ではないが、ある上司に要求を出すと「俺も50歳だからな」という返事が返ってきた。そんな要求の上への仲介をして、上と掛け合うのはいやだ、というのである。それからは、上司を1段とばして行動しはじめた。 |
《T、π字形人間》 | ある専門を深く持っている人間がいる。Tの字の縦棒である。その人間は、専門外の知識を持っている、これが横棒である。これをT字形人間という。私が40歳くらいのときに、これでは駄目だという話が出はじめた。専門を複数持つ、これがπ字形人間である。πとは言わなくとも、専門を持っている人間というものは、専門の追求で深く考え苦労している。他の人の専門もわかりやすくなるし、その専門の苦労もわかると言うことになる。人間は技能で食べるものである。それは専門である。昔の、専門は電気通信だった。今の私の専門は何かと考え時がある。人から聞かれて「昔の電気通信屋」と答えるときがある。 |
《正義感は程々に》 | 昔、弟と何かの話をしているときに、弟から「岡野の家系は正義感が強いのよ、親父を見ろよ(亡くなっていたが)」といわれた。確かに、そうなのだ。親父は株屋をやっていたが。「人を騙す押しつけの株売買はしない」といって債券ばかり販売していた。であるから、会社上司とは対立していたが、客からの信用は失わなかった。若い頃正義感だけで責任をとって会社をやめたこともあったようだ。弟とともに「でも、俺達は親父ほどは馬鹿ではない、正義感も程々」と笑いながら話を終えた。弟がコンサルタントの道を歩んだのも正義感と無関係ではないだろう。 そんな時期は過ぎてしまったが、自然児ということを思っていた時期がある。勝手な定義だが「良いことは良い、悪いことは悪い」と正直に行動しながら自然体で会社生活を送りたかったのだ。 |
《部下に害を与えているか》 | 40歳を過ぎて、岩崎家との兼務業務がはじまった。それまでは、ごますりではなく暇を見つけて上司の席を訪れたり・上司と飲んだり・ゴルフをしながら、やんわりと要求事項を話すことができた。機会をとらえながら時間を掛け、考えを伝え要求し続け、実現することが出来た。 ところが、岩崎の仕事を始めてからはなかなかそうは行かなくなった。何せ、土日は家に座り詰めで岩崎の仕事をしている。ウイークデーは会社の仕事、と言う具合で休みも何もない。あるとき「半年間溝口の街に出なかった」と思ったり、「人に誘われ温泉に行って、2年ぶりに身近に山を見た」と思ったこともある。 上司への要求も段々と単刀直入・拙速になって行く。自分はもう近い将来退職で自営業、会社の評価はあまり気にはならないが、こんな上司がいると「部下に影響する」と思うようになった。それで、極力部下を表に出すように心掛けた。 40歳から45歳にかけては、優秀な部下がいて非常に助けられた。時間があるときには、結構部下と飲んだ。といっても、飲むだけでは身体に悪いし、飲まない部下もいるので行く先は中華料理屋でたっぷり食べながらという具合だった。大体こんな年齢では家に帰って食べられないし、帰って食事では妻にも悪い。金もない、中華屋は安い。最盛期は週に2〜3日はこんなことをやっていた。技術者は趣味人は少ないから仕事の話が中心である。こんなことだから、皆のベクトルがあっていた。誰が呼ばれても似たり寄ったりの事を言うので、他の管理職から「お前のところは金太郎飴」と言われ、妙な探りやちょっかいはなくなってしまった。 |
《諸研修》 | 企業にいると、いろいろな研修を受けさせられる。宿題も出る。ところが自営業になると、自分が能動的でないと何もない。この辺も大きな問題である。 今、時事通信社の「内外情勢調査会」というのに参加している。20年ほどになる。私が自営業になりしばらくして「地域に入ったらくだらないローカル情報ばかり、それでけでは面白くない」と発言したら、ある人から紹介されたものだ。年間20万円ほどかかるが、月に1回東京の大ホテルでの講演会と地域での講演会(いずれも昼食付)があり2時間ほどの講演を聞ける。政治家や有名な専門家で世の中と自分の事業との関係をチェックも出来るし、聞くという忍耐力を維持することもできる。
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《異常への対応能力が人の能力》 | 誰でも出来ることは、特別な価値ではない。出来て当たり前、平均なのだ。仕事上でも何事でも、困ったことがおこったり、異常が発生したり、と言う場合に、その人の価値がわかる。異常の内容を適切に観察し対策できる人間に価値がある。 管理者と言うものは、中抜きである。計画をする。この時は仕事がスムーズに進むように必死に知恵を絞る。仕事の実行が開始される。仕事の進捗を表面的ではなく観察・管理する。仕事が順調に進んでいれば、余裕時間は次の仕事に頭をめぐらす。仕事に異常が発生すれば、原因の追及や対策に必死になる。仕事が終われば反省に必死になる。管理者とは極言すれば計画と異常対策・反省のために必要なものである。仕事の規模や難しさによって管理者の行動は異なるが、部下と同じ立場意識しか持たない、部下と同じ行動しかできない管理者は、間違って管理者になった管理者と言えるだろう。 |
《言い訳は、まず自らを確認し、正確に原因を》 | 人間だからミスをする、気がつかないこともある。人から注意されたり指摘されたりする。こんなときに、言い訳にならない言い訳を言うと信用を失う。 例えば、こんなものがある。 「遅刻した→注意された→電車が来なかった」というものである。 事故で電車が遅れたのなら「事故で電車が遅れた」といえばよい。これは偶発的なものかつ他責で仕方がない。休日でダイヤが違っているのを忘れ遅れたのなら「休日ダイヤを忘れた自分が悪かった」が正確な表現で自責である。何回も繰り返さなければ「今後注意しろ」で注意側も、あまり腹は立たない。ところが、この自責を「電車が来なかった」といい事実を相手が知れば「馬鹿野郎!」となってしまう。こんな言い訳をしている人間は直らない。 「忙しかった」というのも言い訳にならない場合がある。自分のそれまでの手際の悪さが忙しくさせていたのなら自責だ。それは「自分の手際が悪かった」というべきである。「忙しい(いそがしい)」は「心(りっしんべん)を亡くす」と書く。日常挨拶ならともかく、仕事上では出来るだけこの言葉は使わない方がよい。そんなことで「せわしい」と言っていたら同じ字だった。 言い訳というものは、まず自らを確認し、正確に原因を述べることが反省につながり改善に向かう、ものである。注意者が言い訳にならない言い訳で、収めてしまうのは相手のためにも組織のためにもならない。収めてしまう人間も馬鹿の場合がある。 |
《勉強は自腹》 | 海外出張に行ける気配が30歳くらいの結婚直後に出てきた。上司が委員会で海外出張しているのだが、技術的には私が教えていた。その内にお前が行けということになった。英会話が心配になり自腹で通いはじめた。いい加減で立ち上がったとはいえなかったが、精神は重要だったと思う。同時にタイプライターも練習した。義妹の名津子さんが仏文科ユニバーサルのタイプライターと持っていたので拝借し、毎晩晩酌と食事後練習した。ただ打つのはいやだし、といって若い人のようには行かないし、ということで「赤尾の英単語」をaからzまで、派生語も含めて全部打った。3ヶ月かかった。これが40歳を過ぎてからのワープロ時代に役にたった。部下にワープロを教えろと、ちょっとだけ手ほどきしてもらい、数日後は一応一人前にぱちぱちなのだから部下は不思議に思っていたようだ。この海外出張は、これによって箔がつくようなものではなかったが、考えてもみなかった海外に行けることになり幸運だったし、いろいろな経験が出来た。もっと大きな会社で人材がたっぷりいる会社だったら、私にはお鉢が回ってこなかったかも知れないからだ。沖電気レベルだから回ってきた、だから幸運だったといえる(当時としては私ら係長、部長まで羽田に見送り、帰りのおみやげも大変という時代だった、最初は長距離用ジャンボ機もなかった)。 弟は、商社に入社したが、30歳頃からあるコンサルタントの勉強会に自腹で参加していたようだ。いずれの独立などもあったのだろうが、10年以上は続けていたようだった。今は知らない。会社の指示で教育を受ける場合もあるが、一般教養の範囲は余程のことがない限り自腹で当たり前と考えた方がよいだろう。今まで何をやってきた、と言われればそれで終わりだ。 本屋である本を見つけ読んだ。よい本なので、地域で一緒に仕事をしている役人に知らせた。しばらくして合うと「今(役所経費で)手配しています」と言われた。そこで「民間企業灘自分で買うよ、まだ見ていない分だけ時間が遅れたね」と皮肉ってやった。 |
《資料配付時》 | 作成した資料を何人かの人に配布する。それにより会合を持つ場合もある。私の場合、ホチキスで左上を留め、受け取った人がファイルに直ちに収められるよう、ファイル穴をあけ配布する。ホチキスは当たり前だが、穴あけは沖時代誰かに言われ習慣となった。
配布者が穴をあけておくと、 ・ 一時にあけられる。受け取った多くの人が個別にあける必要はない(後工程はお客様、組織の生産性向上) ・ 社内会議などファイル毎持って出かける場合もある。こんな時に議題終了時に直ちにファイルに入れられ、机に帰って直ちに書棚に収められる こんな習慣がある人は少なく、何かの度に教えている。 |
《失敗から学べ》 | 当たり前というだろう。しかし、きちっと失敗を分析して反省し、組織ならば他にも徹底と言うことをしておかなければ、また繰り返すことになる。人が変わると繰り返すこともある。 ある人がある設計を行った。それを引き継いだ後輩が何でこんな無駄をしているのだろうと省いてしまった。これで大事故となった。ある機械のソフトウェアでである。機械を操作する論理の話であるが、前任設計者は一般のオペレータが機械を操作できるルートと、非常時に特別な操作者がいじれるルートを二つ作っておいた。前のルートは機械に負荷がかかりすぎると使えなくなるルート、後者は機械がいかなる状態でも最優先で機械に命令を送れるルートである。 このルートの論理はほぼ同じである。それで後任者は「無駄なものがある」と思って一つにしてしまったのだ。あるとき、非常ルートを使わなければならない事態になったが、一つにされて一般ルート化されていたので機械が停止してしまった。 例えば、実際問題としてはそんなことは出来ないが、非常災害時に消防車や警察だけ通れるルート(普段も車は通さない)と一般車だけが通れるルートを作っておけば、非常災害時にはいろいろな緊急車を支障なく通すことが出来る。これが一緒なら、一般車が支障となって緊急車は通れないであろう。これは災害を拡大してしまう。こんなことと同じである。 |
《事務所の話には聞き耳をたてろ》 | 私の場合、この家の運営では、極言すれば誰の世話にもならない、試行錯誤的な立ち上がりだった。諸々の不動産(交渉事や開発)・音楽ホールなどである。随分とロスをしているだろうが、これは仕方がない。 次の世代は早く立ち上がって欲しい。事務所内の会話には「俺には今関係のないこと」と思わずに聞き耳を立てて欲しい。私達の過去の立ち上がりは、そんな風に要領よく吸収し、先のことに頭を向けて欲しい。 |
《部下に情報提供しない人間は発展しない》 | 大学時代、他校から講師で来ていた先生から「この大学はいいだろう。講義をさぼりノートを貸してくれと言えば皆貸してくれるだろう。自分の母校はそんなことはないよ」と聞いたことがある。 入社し、大先輩から「昔は先輩が教えてくれなかったので、先輩が帰ってから先輩の机の引出をあけてノートを書き写していたものだ」と聞いた。私が入社したときには、そんな雰囲気はなくなっていた。そもそも、組織が発展(会社がよくなる)ためには皆が発展しなければならないのだ。そうなれば待遇もよくなる。そのためには情報の共有が必須なのだ。どんどんと延びる人は、得た知識や情報を部下や周囲に提供し、どんどんと先の事に頭を向けるべきなのである。そうすれば全体がレベルアップしよくなる。情報を提供しない人間は、いつまでもそれをやらされることになったり、そこに安住し留まってしまい発展しないことになる。 昔のように進歩が遅い時代は、自分の得たものを自分だけで握っていても、全体にも自分にも影響は少なかっただろう。少なくとも維持できる時間は長かっただろう。今のように変化の激しい時代は、情報はどんどん共有し、頭のよい人は先に向かわなければならないのだ。所詮、凡人が持っている知識やノーハウは大したことではないのだ。 |
《やりこめられた部下は上考課》 | 私は上下関係というものを「同じような能力で入ってきた人、入った時期が違うだけ、だから経験期間が違うだけ」という基本的な見方をしている。だから、部下に負けることもある、と思っている。負けるのは相手がその面では優れているからである。だから、負けた相手の考課を悪くはせず良くする。その方が会社は発展すると思うからである。 とは言っても「あの学校出てきたのに出来に疑問」なども結構多かった。 |
《会社を儲けさせた仕事なし》 | 少なくとも、私が会社の利益に直接貢献したと言うのは、入社してから7年程の30歳位までだろう。その後5年ほどは委員会仕事などで遊んでいた。その後は、設計支援的な仕事であったので、会社の利益に直接的に貢献すると言うよりは、効率化推進の仕事だった。結果は明確には見えないから、こんな感じがしているのである。 |
《小さなシステムへの配属で幸い》 | 入社して配属されると、小規模システムへの配属だった。つまらないシステムと思っていると、ある人から「全体がわかるからいいよ」と言われたので「そうかな?」と思っていた。短期間で全体を覚えた。これは当たっていた。同期生などは一生部分しかわからない人も居た。
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《ロボットを要求した人》 | ある意味では恩人だし、ある時までは従順に使えてきた人なのだが、あるとき私に「俺の先生はロボットをやっている、俺もロボットが欲しいんだよ」と言われた。「私は人間ですから、そのようなロボットは嫌いです」と言って、その人からは距離を置くことにした。 |
《何でも同じレベルで話せることは有り難い》 | 私は3人兄弟、妻は2人姉妹、男だけ拾うと、私には実弟一人、義兄弟2人がいる、最近これに従兄弟が一人加わった。それぞれが他に影響されることなく勝手に生きてきた。しかし、皆ある程度の地位には達し、経験的な事でも会社のことでも何のわだかまりもなく、気ままに話したり意見交換したりしている。お互いに参考になることもある。これは極めて有り難いことである。 |