景気回復による収益改善は会社のためならず
こんな重要な経験をしたことがある。
- 会社は赤字になり、このままでは数年先には危ないという事態になっていた。技術部門はそんなことには疎いのだが、同窓の事務系の人間から聞こえてきていた。
- こんな事態もあり、顧客先のNo.2を社長として迎えることになったのだろう。
- この社長はすばらしい方だった。さすが超難関校出であると思った。この社長が10年頑張ってくれれば会社の体質も完全に変えられると思っていた。
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この社長には忘れられない具体的な思い出がある。
- 一つには、メーカから納品させ運用している企業にもかかわらず、設計も自身でしたこともある様子だった。昔は、客とメーカ一心同体で開発をしていたのだろう。課長クラスの管理職のごまかしも効かなかった。
- あることを心配していると「そんなことは俺が考えている、しっかり今の仕事をしろ」と言われた。間もなく方針が示された。
- ある馬鹿な管理職が、社長に出す文書の体裁を問うと「何故そんな質問をする、正直に出せ、俺のところに来る文章は霞がかかったものばかり、こんなもので経営判断せよと言うのか」と睨み付けていた。
- 知り合いのコンサルタントもあんな社長は見たことがないと言っていた。社長室で仕事の整理の話をしていると「机を開けて、俺の悪いところを指摘してくれ」と言ったのだそうだ。
- 会社には分掌規定というものがある。組織の権限などを規定しているものである。以前の会社の何分の一という会社に来たのに、規定は3倍厚いなどとも言っていた。
- こんな話もしていた。前の会社で成績優秀者だけ採用していたところ、共食いがはじまったので、成績だけではなく他の要素を加えての採用にしたと言うことであった。
- 以前の会社では疑問が生じると課長クラスまで直接呼び出して聞くことが出来たが、こちらでは(人を知らないから)そうは行かなくなったので困った。
などである。
- この社長の元に改革がはじまった。心ある人々は期待しついていった。いわゆる改革派である。古い体質の会社故当初は改革派は少なかったが、徐々に増していった。昔からの体質を維持しようとする所謂守旧派はなりを潜めていった。
- 改革を進めて2年ほど、社長は支店などを全部回る全国行脚を開始した。ところがこの時すでに社長は癌にかかり、自分の寿命を知っていたようである。それでも、支店などでは宴会にも夜遅くまで付き合っていたようである。当時支店にいた人が「そんなことを知っていたら、宴会などするのではなかったと後悔していた」。
- 改革半ばというより、改革を開始して間もなく社長は他界してしまった。急遽社長は交代した。
- 改革半ばであり、まだ会社はよたよた状態、赤字改善も未だにの状況だった。こんな状態だったが、数年後に景気が回復してきたのである。
- 社長は交代し、景気は回復し赤字も解消し「何故体質改善などというものを」と言う守旧派の復活がはじまった。
- その理由だが、体質改善が行われると自分達の出世コースが否定されてしまうという恐れからだろう。馬鹿ではないから、その位はわかる。でも体質は変えたくない。会社がつぶれないならば今のままがよい、ということなのだろう。
こんなことで私は「景気回復による収益改善は会社のためならず」と思うようになった。当然のことだろう。自分で改革・改善し収益改善したのではなく、外の環境変化で収益だけが変わっただけなのだから。
この社長は、わずかな期間だったが大鉈を振るった。一等地を売り払い、地方に大型工場をつくり、それは没後10年ほどは企業全体の収益に貢献することになった。しかし、それもまた事業環境の大幅な変化から、効果を発揮しなくなった。市場や事業環境の変化に応じて事業も体質も変え、変遷して行くというものは本当に難しいものである。