物・事は品質である
世間一般は、納期を気にする場合が多い。しかし、
- 品質が悪ければ使い物にならない、半製品を客に渡したに過ぎない。客はそれを使って仕事や商売をするのだから、客も満足に仕事が出来ないことになり、客の業務に悪影響を与える。
- 納期が遅れても品質が守られていれば、お客様は許してくれる場合がある。
- コストが悪いのは自己責任、価格(プライス)に転嫁しなければお客は何も言わない。
原則は求められる品質と納期を守って納入することなのである。こんなことから、仕事の品質、商品の品質は最重要事項だ。だから、品質を確保(要求される品質に)できない企業や人は駄目なのだ。
戦後日本は、安かろう悪かろう製品の輸出から出発し、TQC(Total Quality Contorol)(CWQC(Company Wide Quality Contorol)とも言われる)の考えにより製品の品質を向上し輸出大国に成長し、その後CS(Customer Satisfaction)を経て、ISO9000シリーズという時代に入ってきた。
当初は製造業の製造現場におけるものが多かったのだが、所詮製造現場の質だけでは不十分であり、徐々に間接部門や開発部門などにも幅を広げてきている。即ち「企業経営や運営の方法論」まで幅を広げていると言えるだろう。
ただ、企業に応じて程度問題を考えないと失敗することがある。何故ならば、企業は製品を産み出すことが主なのであり、改革改善で遊ぶことではないからである。コンサルタントなどを入れた結果、彼等に振り回され、業績をおかしくすることもある。それは振り回される企業が、それだけ幼稚である事を示すものでもある。
ISO時代になり、国際間の取引など企業が認定を受けていないと、取引できないことも多くなってきたようだ。コンサルタントなどを入れ、見よう見まねで取得をする。でも、維持のためにいつまでもコンサルタントに依存しているなどは、企業が成長していない証拠でもある。
こんなものを馬鹿にしている人種が居る。あれは「なじまない」などと頭から否定している人々である。こんな人は、勉強したこともない、触れたこともない、と言う人々がほとんどである。高度な特殊技能者や芸術家ですら、ISOなどは全く知らなくても、同じ発想で発展している人はいくらでもいるように思える。テレビなどで見る高技能者の行動が似ているからである。
ただ、作家や誰も考えて事もないようなものを考えている研究者などは別かも知れない。それは純発想だからからかも知れない。世の中の99%の人々はそうではない。そこには参考になる余地があると思っている。政治家もちょっとだけでも、役人、特に機械的仕事の役人、は十分にかじって欲しいと思う。
今の日本を見るとフラフラしている。一部の優良企業だけはしっかりしているが、考え方の原点が国全体として出来ていないように思える。日本総ISOが必要なのかも知れない。