肺の線維腫


  1. 学生時代にはブラスバンドに所属していて肺活量は5400ccあった。20歳頃からタバコを吸い始め、74歳まで吸い続けた。ただ、本数はピークで20本、70歳頃には5本程度になっていた。74歳でやめた。私の場合日に数本でも痰がひどくて時々夜中に咳き込み痰が30分程出続けるなど、タバコ吸いたさより痰の嫌さが勝ったのである。今でも吸いたい。肺活量は4000少々である。

  2. 検査から手術前まで
    • 2013年頃健康診断で軽い肺気腫と言われた。レントゲンでどう見えるのかを医師に聞き、レントゲンをよく見ると肺に黒い空洞が見えた。でもタバコは吸い続けていた。
    • 2015年の2月にタバコはやめた。前述の痰の大変さからである。やめた後は痰は徐々に減っていった。
    • やめてから半年ほどは夜中トイレに行った時、朝洗面所で痰の吐き出しをすると少なくはなったが濃縮されて色が濃い痰が出てきていた。肺の中にタールが溜まっているのだから当然だろう。夜中の咳は2ヶ月程するとほぼなくなった。
    • 1年程すると痰は大分薄くなってきた。
    • 1年半ほど経過した2016年秋に翌年2017年春にネパール行きを決めた。息切れにはやや強い方だから少々の高地でも大丈夫と思った。ただ妻から行くなら肺のチェックをしてから行ってと言われたので仕方なくチェックを受けはじめた。
    • 痰は続いているので、この間耳鼻科にかかってみた。かかっている内科の医師に”痰が出て気になる、鼻腔から来ているものかも知れないので”と耳鼻科を紹介してもらったのである。薬などもらってみたが改善の兆しもなく”この程度なら我慢します”と自部咽喉科は中止することにした。通っている呼吸器科の医師に「別病院で、こんなことをしてもらったが」というと「そんなこともあるかも知れませんね」と返ってきたのは意外だった。
    • 検査を開始ししばらくすると、医師から”5年程前にはかすかにあった腫瘍、大きくなっているのに気付いた。”と言われた。小さなものは医師も問題にしないらしい。まあ、それも当然だろう。そんなものを相手にしていたら病院も国も大変だ。”肺か横隔膜か肝臓かは胸腔鏡を入れてみないとわからない。”と言われた。後で手術医から言われたが、肺の部分は生検など出来ないようだ。うっかり穴でも空けたら後始末も緊急になり大変になるからだ。
    • その後、1回再検査で違う方向から検査したが、所詮わからなかった。肺機能検査→レントゲン→CT→(ネパール行き)→PET CT→造影剤CTのように検査をした。ネパールに行ったのは医師の判断だからだが、私自身も「急に大きくなったものではないのだから大したものではないだろう、近場の結構急な丘を上り下りしても息切れなどせず変なものでもなく問題はないだろう」と思っていたからである。
    • 最後の検査後、医師に”気になりながら生活を続けているのはいやなので手術してしまいたい”と告げた。

  3. 手術から退院まで
    1日目
    • 入院受付
    • 病室に行くと、看護婦などの措置や説明、手術医からの説明。老人になると大変だ、薬は取り上げられ、転倒防止などまで注意される。
    2日目
    • 朝8時に手術室入り、11時頃病室に戻る。手術直後手術室で”終わりましたよ”と聞こえてきたので、思わず”肺は綺麗でしたか”と聞いてしまった。先生は”まあまあですね”と言っていたような記憶がある。
      写真(写真クリックで拡大する)は摘出した腫瘍だが、肺に出来て横隔膜に癒着もせずに押し付けられていたので、こんな形状になっているのだろう。現物を見た妻と息子は「貝みたいなもの、おちょこみたいなもの」と言っていた。
    • ベッドに戻って、動かないようにくくりつけられ、その日はそのままだった。食事は夕食からで完食だった。
    • 予想通り、私の身体は痛みなしだ。

    3日目
    • 午前中に尿道に入っていたドレーンを抜いてくれた。看護婦と歩行チェックをし、問題ないのでそれからは点滴をつけたままだが自由に動けるようになった。看護婦は私の歩行を早いと感じたようで”いつもこんなですか?”と言っていた。
      訪れた先生が”咳をして見て下さい”というのでしてみると少々痛いので控えめにやっていたら、もう少し強くなどと言われた。
    • この頃の私の体重は75kg位、夕方体重を量ると点滴膨れで+3kgにもなっている。その後頻繁にトイレに行きたくなり、その日は翌朝までに7-8回はトイレに行っただろう。11年前に前立腺を摘出し尿が溜まりにくくなっている身体だが静かに寝ているから1回で300ccはあるだろう。だから尿や発汗で2-3kg減と思っていると、翌朝体重は元に戻っていた。
    • 夜咳をしたら、あるいは痰を出したら、血が混じっていたり、やや固まった血が混じっていたりした。肺を手術したし内部に溜まった血が出てきたのだろうと思ったが、数回そんなことを感じただけだった。
    4日目
    • 何もない1日、多分こうなる!と前日妻にカメラを持って来てもらっていたので、病院内から周囲のビル群を撮影し回っていた。
    • 先生が退院日の打診に来たので、出来れば翌日(金曜日)、出来なければ家の仕事上土日は避け月曜日をお願いした結果、夕方に翌日退院と言われた。
    5日目 朝から退院待ちだった。電車で帰りたい。途中下車して写真を撮りたいと言うと妻から拒否され、家にタクシーで直行した。
    とこんなあっさり入院で、記述することもほとんどない。

  4. 退院後
    • 痛くも痒くもないから仕事も生活も普通に戻った。退院後10日間ほどの間に友人との飲食会も3回あったのだが、全部出席し、少々控えめにしたが酒も飲んだ。それを先生に言うと先生は笑っていた。
    • 退院後必要はないと思っていたが10日間ほどは念のために痛み止めは飲んでいた。
    • 手術前に手術医から”肋骨の間にパイプを通し、その中を手術用器具を通す。パイプが肋間神経に触るので手術後に神経の痛みが来るが数ヶ月で直る”と聞いていたが、私の場合は日に数回時々チクリとするので、これかな?と思った程度だった。
    • ゴルフクラブは退院後1週間ほどで振りはじめたが何の痛みもなかった。
    • 咳やクシャミをした時の痛みだ。痛い!と言うほどではないが、退院時からしばらく感じなかったのだが、咳やクシャミをした時明らかに手術した肺の部分に軽い瞬間的な痛みを感じるようになった。これは手術後2ヶ月程でなくなった。
    • 以前から、右肩甲骨(肺も右を手術)にだるさを感じていて、医師に聞いてみたが”それは関係ないです”と言われていた。これはパソコンから来るものかも知れない。
    • と、こんなことでほとんど何もないと言いたかったのだが、その後いろいろ疑問も出てくる。
    しかし、老人それも75歳を超えるといろいろ出てくるものだ、病院も先生も国も大変だとつくづく思うようになった。

    • 先生から「再発もあり得ます」とは言われている。それは当然だろう。しかし、手術後2ヶ月程して、こんな疑問も持つようになった。
    • 肺腺腫とは肺の硬膜に傷が出来たような場合、それを塞ぐためにコラーゲンが出来、肺を塞ぐ。それが止まらなくなって腫となる。
    • では手術をしたときにも傷が出来、折角とってもまたコラーゲンが生成される。それもまた体質的に溜まって行くのだろうか?と言うものである。
    • まあ、こんなことはわからないので、次回何か出来ても似たようなものだったら放置するつもりでいる。もう年齢だからそれで良いという判断である。