術前術後のいろいろな出来事
《学友との同期会で》
退院後2週間後に同期会があり出席した。20人ほどの同期生の中で私を含めて前立腺癌が3人いた。
私は先生から「出来てから10年ほど」と言われた。転移がなさそうなので摘出手術できれいさっぱりを決断した。摘出してしまったから、精液は出ない(神経は1本残せた)。精子が外に出るルートもないが、どこかに貯まっているのだろう(いずれ先生に聞くか調べるつもり)。もう一人の友人は30年だそうである。彼の場合は、転移から大腸から出血があり気付いたそうである。転移があるから摘出しても意味は薄く、進行を抑えるために睾丸を摘出した。だから精子は出ないが、精液は出る。ところが、睾丸を摘出したので、小水をするときに、亀頭の収まりが悪く「ゴムホースを固定しないで水を出すと、あちこちにふれるように」手放し小水が出来ないのだそうである。私の場合は、ペニスが短くなり不便している。笑い話ではないのだが、こんな話になり大笑いになってしまった。
《地域仕事》
私の手術は2005年の10月4日、偶然だが結婚記念日であった。結婚記念日ではこんな思い出がある。最初の結婚記念日なのだが私の頭にそんなものはない。妻がうれしそうな顔をしながら「今日は何の日?」と私に問う。私は思い出さない。妻は呆れていた。そんなことだから、手術日が決まってもそれを思い出さず、手術が終わってから何ヶ月か経過して、そういえば結婚記念日だったな!ということになった。妻は意識していたようだが「貴方がそんな人だから何も言わなかったのよ!」と言っていた。
退院は10月12日、16日には地域会合に出なければならなかった。21日には寺のイベントで夜3時間ほど筆を持って「奉納 金××円 誰々様」と何十枚かを書く手伝いを外の冷えるところでしなければならなかった。
手術の日が決まったのは8月の下旬、その翌月の9月のはじめに、地域の友人から依頼があった。会社のパーティーで挨拶をして欲しいというのだ。友人は会社を発展させ、ここで一段落のパーティーをしたいというのだ。手術のこともあるので、私の病気は隠して「他の人に依頼して!」と一旦お断りしたのだが、何とかやって欲しいという。そんなことで、引き受けざるを得なくなった。パーティーは11月1日である。手術で万一のこともあるから、手術前に挨拶文をワープロで叩き、万一の場合には、それを誰かが発見するようにして手術入院した。おかげさまで、何のトラブルもなく退院し、それから20日ほどでパーティーに臨んだ。数ヶ月ぶりにあった友人に「実はこれこれだったのだよ、でも何とか来られたよ」と話した。挨拶も無事に終えたが、2時間以上立ちん坊でさすがに疲れ、会場からそそくさとタクシーで家まで帰ってきた。
ところが、この友人がそれから5ヶ月少々で白血病で亡くなってしまったのだ。まだ、60歳に到達していない。彼も私の癌確定(2005年6月)と同じ時期に白血病が発病して治療中であったのだが、私は全然知らなかったのである。彼は、ここまで会社を持ってくるために、いろいろと苦労していたのは知っていた。体質的にそのような特性を持っていたのかも知れないのだが、いろいろな苦労が免疫力を低下させ、早い時期に引き金が引かれてしまった、と思った。私の場合も、人生で一番重かった仕事を終えた後(50歳少々の時期)、胃からの出血で一時的な免疫力低下の時に、前立腺癌が出来たのではないか、と思っているからである。
この時期、まだ1日にパッド十数枚を交換、交換したパッドにもおそらく100ccほどは吸収という時だったから今思えば結構大変な時期だった。