惚け老人を持つ人の会話
同じ世代の惚け老人を持つ人の会話である。
- Aさん:娘さん夫婦と老婆が一緒に生活をしている。夕食時に娘さんの旦那の飲み物が1種類しかないのに気付いた。飲み物は通常は2種類あるのだが、今日は1種類しかない。旦那は、今日は「それだけでよい」と言っている。それを聞いた老婆が「駄目、買ってくる」と言う。本人がいいと言ってもきかない。もう、言っても聞かない。それで、娘さんが買いに出た。
- Bさん:(同じような家族構成である)うちも一緒なのよ。言い出したらきかないのよ。特に、目に入った食べ物は何でも欲しくなるのよ。
- Aさん:ちょっと遠くに住んでいる姉が居るのだけれど、話しても全然通じないのよ。一緒に住んでいないと所詮わからないものなのね。
- Bさん:それも、うちも一緒なのよ。言い出したらきかないし、食べ物など手当たり次第に買ってきて、腐らせたり、腐ったものをわからず平気で食べ下痢をしたり、冷蔵庫など同じものが2個などではなく何個も入っていたり、私が時々チェックして勿体ないと思いながら、捨ててるのよ。妹が近くに住んでいて、頻繁に訪れるのだけれど、それでも妹はわからなのよ。「(自分との接触では)そんなことはない」でおしまいなのよ。
- Aさん:だから、貴方しか愚痴をこぼせないのよ。申し訳ないのだけれど、愚痴相手として宜しくお願いしたいのよ。
- Bさん:私も同じなのよ。
とこんな会話である。
惚けは嫌である。先に肉体が衰え、頭は元気で、ぽっくりが一番良いだろう。でも、これだけはどうなるかわからない。長生きは禁物なのかも知れない。
私には、老婆を見てきていて、こんな風に分析している。
惚けてくると、
- まず「惚けた、記憶力が落ちた」とは絶対に思わず、おかしいことがあると「(周囲や環境が)おかしいわね」だけとなる。自己を分析する能力はなくなり、自分がおかしいとは絶対に思わない。
- ある面では惚けていても、ある面では惚けを(表面的に)隠すことができる、惚けていない面もある、
- 家族内では「惚け惚け」でも、他人との接触では緊張感や体裁などの心が働き、体裁良く繕うことができる。他人はそれがわからない。
緊張感の伴うものには、電車に乗る・外出時・人の訪問時などがある。
- 聞いているようで聞いていない。それでも相づちだけはうっている。他人はそれがわからない。
- 言い訳やつっぱり能力だけは結構維持している場合がある。言い訳やつっぱりだけで生きているから、そのような対応は正常な人以上の場合があり、びっくりすることもしばしばである。
- 「目が死んでいるのだけは隠せない、目が光り定まっていない」、がそれも他人はわかりにくい。
- 自己防衛本能が強くなってくる。異常なほど強くなる場合がある。人がどう観ているか、人が自分のことをどう言っているか、などを強く気にする場合がある。物忘れはひどくなっていても「薬を飲む」だけは忘れない、薬に執着する、なども自己防衛本能だろう。
- 優しい人に傾く・・・いくら心優しくとも、近場にいればそれだけではない場合がある。そうすると遠場にべたべたがはじまる。遠場の人は、一時や間歇的な接触だから優しくしていられる。
- いろいろな人にいろいろなことを言い歩く(正常な人でもこんな人も居るが、惚けの場合は悪意なく言い歩く場合がある。惚け老人の言動に惑わされ、ある関係をおかしくされないように、仮に惚け老人から何か言われても、両方から聞くまでは判断しないことである)
こんな記述はどうだろう。
すべてに「惚けの」が頭になるが、
- 惚けの意地っ張り・・・惚けても、大惚けでもない限り本人は
- 惚けの突っ張り ・・・
- 惚けの言い訳 ・・・
- 惚けの体裁づくり・・・
- 惚けの詐欺 ・・・ある人が家付き土地を売買したところ成年後見人などが後から出てきて無効などと裁判している例がある。