適切な眼鏡を保有しないと惚ける
自分もその年齢になり、最近こんな風に思うようになった(2007年頃)。まず、こんな書き出しからはじめよう。眼鏡をかけると世の中がキラキラと見える。音の世界も補聴器を使うと同じであると言うことである。
こんな風にしていると惚けたり、惚けが加速すると言うことなのだが、
- 聴力を補聴器などで補っていない、
- 合ったメガネを使っていない、
- 人の話を聞けない、意地だけが残っている、
などである。私なりにこんな点を記述してみたい。
《眼と眼鏡》
メガネが合っていないのは問題である。60代半ばからちょっと面倒だがメガネを使い分けるようになっている。
- 私は高校生時代にガチャ眼に気付いた。偶然片目で電線を見たところ左目の場合、電線が薄くかすんで見えたからである。
- その時は肩こりがひどくて苦労していたが、眼の影響だったように思う。直ちに眼鏡をつくった。
- 以降は眼鏡を使い続けている。40歳頃からパソコンを使い始めたが、50歳少々過ぎまでは老眼鏡は使わなかった。
- 50歳少々過ぎ、近場が見にくくなり老眼鏡を使い始めた。
- 60歳頃までは遠専用(運動用)と遠近両用(事務用)で済んでいたのだが、60歳頃から種類が増え始めた。
- 65歳位では、遠専用(運動用)、遠近(日常用)、中近(事務用)などとなっていった。疲れが眼から来るようになり、自然に増やさざるを得なくなっていったのである。
- 70歳を過ぎてからは、遠と下1/3中(運転用)更に60センチの固定焦点(事務用)を追加した。追加理由だが、
遠と下1/3中は遠での運転ではダッシュボードやカーナビが見えず、遠近での運転では疲れるので折衷である。
また、固定焦点だが乱視などが増してきた結果、中近などで全面的な乱視補正が難しいはずと考えたので固定で乱視補正ピッタリと言うものが欲しくなったのである。両方とも具合よい。
メガネが合わないと疲労が目から来て、身体全体に及んで行く。根気も出ない。文書仕事はしたくなくなる。これではまずいと使い分けるようにした結果、随分と楽になった。文書を読むのは能動的でないと出来ないことだから惚け防止には良いだろうと思っている。
最近は、レンズが小さいメガネが流行している。このメガネで遠近メガネは明らかにこんな一長一短がある。
- 遠近メガネでは上側の遠から下側の近の間隔が狭く、急激に度が変化するので、体裁はよいが見えは悪い。その結果疲れる。→ 中近が欲しくなる(中近は度の変化は少ない)。
- 乱視などは遠近などでは全面的に合わせにくい。
- 紫外線などが縦横から飛び込む量が大きい。
などである。
・・2012年追記・・
老人としては目を酷使している方かも知れない。パソコンは平均して日に4時間程だろう。目に悪いと思っても、寝ながらテレビも見るし、無理な体勢で本も読む。だから前期高齢者半ばの未だに度が変化する。複数の眼鏡の更新も大変である。
テレビだけ受け身で眺めている老人が惚けやすいと思う。文字は読む意思がないと読めないが、テレビはボーッと眺めていても少しは情報は入り楽だから、こちらに流れやすい。合っていないメガネなどを無理して使っていると「文字を読もうとしてもつらくて集中できない・いい加減になる → 頭を回さない → 惚ける」と思うのである。怠け者は惚けると言うことだろう。
昔は良い補聴器も眼鏡もなかったが、寿命が短かかった。今は寿命が長くなった。その分惚け老人は増えるのでは社会も若い人もたまったものではない。金はかかるが良い道具を積極的に使うよう老人にし向ける必要がある。
・・2012年追記・・
テレビで見るのだが、田舎で80代や90代で元気な老人達を見る。何故?と考えてみると、こんな事が頭をよぎる。都会のサラリーマンは引退してしまうと、急激に何もなくなり、時間をもてあまし、ボケッとする場合がある。趣味をやりたくとも、年金でもたっぷりもらっている人は良いのだが、金もなければ動けない場合がある。ところが、田舎の老人達は近所付き合いというコミュニケーションもあるだろうし、仕事の中心は若い世代になっていても、老人にできる手伝いを続けていて仕事から離れていない。