適切な眼鏡を保有しないと惚ける

 自分もその年齢になり、最近こんな風に思うようになった(2007年頃)。まず、こんな書き出しからはじめよう。眼鏡をかけると世の中がキラキラと見える。音の世界も補聴器を使うと同じであると言うことである。

などである。私なりにこんな点を記述してみたい。
《眼と眼鏡》

 メガネが合っていないのは問題である。60代半ばからちょっと面倒だがメガネを使い分けるようになっている。
・・2012年追記・・
 老人としては目を酷使している方かも知れない。パソコンは平均して日に4時間程だろう。目に悪いと思っても、寝ながらテレビも見るし、無理な体勢で本も読む。だから前期高齢者半ばの未だに度が変化する。複数の眼鏡の更新も大変である。

 テレビだけ受け身で眺めている老人が惚けやすいと思う。文字は読む意思がないと読めないが、テレビはボーッと眺めていても少しは情報は入り楽だから、こちらに流れやすい。合っていないメガネなどを無理して使っていると「文字を読もうとしてもつらくて集中できない・いい加減になる → 頭を回さない → 惚ける」と思うのである。怠け者は惚けると言うことだろう。
 昔は良い補聴器も眼鏡もなかったが、寿命が短かかった。今は寿命が長くなった。その分惚け老人は増えるのでは社会も若い人もたまったものではない。金はかかるが良い道具を積極的に使うよう老人にし向ける必要がある。

・・2012年追記・・
 テレビで見るのだが、田舎で80代や90代で元気な老人達を見る。何故?と考えてみると、こんな事が頭をよぎる。都会のサラリーマンは引退してしまうと、急激に何もなくなり、時間をもてあまし、ボケッとする場合がある。趣味をやりたくとも、年金でもたっぷりもらっている人は良いのだが、金もなければ動けない場合がある。ところが、田舎の老人達は近所付き合いというコミュニケーションもあるだろうし、仕事の中心は若い世代になっていても、老人にできる手伝いを続けていて仕事から離れていない。