おさらい後記

 

  1. 時間と寿命があればいくらでも探求したいこともあるが、72歳になった現在、昔の電気専門のエンジニアとしては、この辺が限界であり、他の遊びもしたいので、この辺で終えることになるだろう。もう少し、やるかも知れないが、所詮少々進む範囲だろう。しかし、学生時代に理解不完全なまま終えてしまった基礎的事項は大体こんなところで満足しているつもりである。

  2. どんな分野でも先は無限である。一口に数学・物理・宇宙物理などと言っても、その一つの分野すら、全面的に深く探求し理解したという人は居ないであろう。Gauss、Maxwellなどは偉大であるが、先駆者として学問が進化しない時期の偉大性であり、ここまで進化した現在においては、彼らすら全面的に進化させることは不可能であるだろう。

  3. これからの社会は「幅の広がりと進化の両方が要求される社会」である。益々、個人で幅と深さの両方を兼ね備えるのは難しくなる。何事にも一番という国もあり得ない。そうなると、部分的と言っても、集団で補う必要性が出てくる。即ち、幅を持つ集団と深さを持つ集団で補い合うことである。今、その一つがミクロの世界であったりする。iPs細胞もそうかも知れない。

  4. しかし、深さを持つ集団というものは、企業などの製品開発や利益に短期的に直結することは少なく、企業の負担になってしまう故に、企業で所有するパワーには限界があるだろう。これへの対応には、国家的なものが必要となるだろう。この点で国策が益々重要になる。

  5. 大学や国家研究機関などがある。この点で、それら機関の更なる進化が必要になるだろう。しかし、国費を使う以上、許可する事務方の承認が必要になる。事務方が、どの程度のレベルであるかが気になるところである。少なくとも、これまで「事務方レベルが優秀」とは聞いたことがなく逆である。これでは国が滅ぶ。事務方に如何に優秀な人(必要性を理解し企画を進められる人)を置けるかも課題になる。

  6. 特に、数学系は重要ではないかと私は思っている。エンジニア系と数学系の連携の在り方が気になっている。数学系の厚さは、全科学系のOSの厚さとも思える。
    余談だが、60歳頃本屋で「高校数学の参考書」を立ち眺めしたことがある。印象は「我々の時代と比較して、こんなに幅が広がっているのか、高校生はどこまで理解できるのだろう」と思ったことである。ゆとり教育と言われていた、時代にである。ゆとり教育と言いながらの、この幅の広がりには何か違和感を感じざるを得なかった。方針と現実が遊離しているからである。