純正律と平均律
まず、基本から入らせていただこう。ただし、これ以上専門的なことは”Wikipedia”などでお探しいただきたい。
- 音と言うのは、空気の粗密が伝搬し聞こえるものである。伝搬する速度は、約毎秒330メートル(空気中:水の中はもっと速い)程だが温度や気圧によっても変わってくる。
- その波の基本形だが「正弦波(いわゆるサイン(sine)というもの)」である。これは自然界で最も自然な動きなのである。音楽に限らず、機械の世界・電気の世界など自然界は何もかもこれが一つの基本である。
- 「音色」とは何だろう、と言えば、その正弦波の基本波の上に2倍、3倍、・・・などの周波数(高調波という;もちろん、それぞれの高調波の大きさも影響する)の波が混合されていて、その混合具合から音色が生まれるものである。人の声の違いも、この高調波の違いによるものである。ストラトバリウスの音色が良いのは高調波が多いからと言われているが、なぜ多いかは現代科学をもっても未だ解明されていない。クラリネットの音色は奇数倍の高調波が多いからだなどと聞いたことがあるが、確かめたことはない。
- 「和音」というものがある。何だろう。何で心地よく聞こえるのだろう。和音は複数の波の混合である。例えば440Hzと1.5倍の660Hzを混同すれば、心地よく聞こえる。何故なら、2:3と言う小さな数の整数比で音が混合されていて(440:660=2:3)、440Hzが2周期の間に660Hzが3周期という対応になり、1秒間に440/2=220回という小刻みな規則的な繰り返しが発生し、それを人が一つの音としてとらえるからである。
和音というものは、このように「複数の波の周期の混合具合が小さな整数比であるもの」と言える。三和音も同様である。
- 一方「唸り」と言うものであるが、これは逆に440と450のような混合である。このような音を混合すると、440:450=44:45のようになり、440が44回(秒数にして1/10秒)繰り返す間に450は45回の繰り返しになり、1秒間に10回の粗い音の繰り返しが聞こえてくる。これは、人間の耳には「唸り」と言う耳障りな音に聞こえるのである。
ピアノは一つの音で3弦持っている。通常のピアノは2弦は行き帰りのループで張ってある主弦で、副弦が1本ある。この副弦の周波数を主弦にピッタリ合わせてしまうと「ポーン・・・」という素っ気のない音になってしまう。そこで、副弦の音は少しずらして唸りを生じさせ、複雑に聞こえるようにしている。本来これが調律である。ベーゼンドルファーというピアノがある。音色が違う(良し悪しとは言えない)などと言われている。このピアノはループ弦なしで3本が単独で張られているのだから当然だろうが、調律なども難しいだろう。一般的に一言で「調律」と言ってしまうが「調音と調律は違う」と聞いたことがあるので、こんな記述としている。
- 音には「位相」と言うものがある。2台のピアノで同じ鍵を同時に叩いたとしても、それぞれの鍵の叩きはじめは完全には一致せず微妙にはずれているはずである。位相がずれているのである。同じ波でも波の開始時期がずれているものである。同じ周波数の二つの音源の音が混じった場合には、位相がずれている二つの波の混合になっているのだが、不思議なことに人の耳にはこれがわからない。本当に逆の相の波なら打ち消しあってなくなってしまうのだが不思議なことである。
- 和音の波の形を見るために、まずいろいろな三和音の形を見てみよう。ただ、すべてドミソ和音と言っても、すべてが同じ形ではない。何故ならば、それぞれの音の位相も大きさも異なってくるからである。
- 楽器というものは「固有振動数や共振・共鳴」というものを利用している。ブランコがある。ブランコを少し押して動かし始め、ある場所に来たときに少し力を加えると、ブランコの振幅はどんどんと大きくなって行く。ブランコは固有振動数というものを持っているのである。そこで、周期や相にあってちょっと力を加えてやると、どんどんと振れは大きくなって行く。これが「共振と共鳴」である。
ピアノの場合はハンマーが1回だけ弦を叩く、後は固有振動数で弦は触れる。固有振動数は弦の「張力・長さ・重さ」で決まるものである。中高音の弦には巻き線がない。こちらの弦は軽いから、張力と長さの影響が大きい。低音弦の場合は、本来はもっと長くしなければならないのだが、それでは楽器があるサイズに収まらなくなってしまう。張力を緩めれば音は低くなるが、音が弱くなってしまう。そこで、弦の重みを利用しなければならなくなる。張力を強くし(音を高く大きくする)かつ巻き線で弦を重くし(音を低くする)ようなバランスをとっているのである。ピアノは減衰音である。弦を重くすると、弦を強く叩いた時と弱く叩いた時とでは初期の音程が変わってくる。だから、低音弦の音は微妙に気持ちが悪い場合があるが、仕方がない。
管楽器は管長による、固有振動数と共振・共鳴を利用している。トランペットなどは開管楽器といって、共鳴の計算は簡単である。開管楽器は管の長さにより音程が決まる。一番低い音が出るものは、バス・フレンチホルンなどで管長は同じだろう。ピストンなしのアルペンホルンも同じだろう。
閉管楽器というものがある。クラリネットなどがそうである。だから、短い管でも低い音が出る。オカリナもそうである。しかし、共鳴計算は皆目検討もつかない。
やっとここで純正律と平均律の話に入れる。
- まず、これは説明のしようがないのだが、人間の感覚というものは「対数」と言う数字系列である。我々が日常使っている「1,2,3・・・」と言うのは「生活数字・経済数字」とでも思っていただければよい。何故なのかは説明ができない。
1000円持っている小さな子供が1000円もらった時の嬉しさと、10000円持っている大きな子供が10000円もらった時の嬉しさを考えてみよう。嬉しさは同じかも知れない。
宇宙の距離を比較するときに、何十億キロメートルなどという数字を出してもピンと来ない。それよりも1011とか109と言うような数字で比較された方が、倍数で余程ピンと来る。
象と蟻が持つ、細胞数を比較する場合、引き算でいくつ違う何と言っても全然ピンと来ないだろう。それよりも例えば100万倍(106)違うと言った方が余程ピンと来る。
絶対比較ではなく、何倍になったという相対比較からである。これが人間の感覚なのだろう。
- オクターブだが440、880、1760、3520、7040となって行く「倍々」である。決して、440、880、1320の系列ではない。声楽家の調律で440を要求されることがある。倍々となって行くので、高音ほど厳しくなり、押さえておきたいためである。一方、弦では443などを要求されることがあるという。高い方が聞こえがよいからである。
実際問題として聴力ではデシベルという単位がある。20デシベルなどと言うがこれは対数なのである。
- 音程というものは人間の感覚的な数字系列だから、下の音程に何かの一定値を加えれば半音上になるのではなく「下の音程に何かの一定値を掛けると半音上の音程になる」という規則である。では、それはどう計算すればよいのだろうか?その掛ける数字をαとしておこう。
- 1オクターブは12半音で構成されている。であるから、αを12回掛けると2(倍)になる数字を発見しなければならない。この発見法を考えなければならない。
技術者などが使う数字に「指数」というものがある。便利な計算法で、掛け算を和算で実施する方法である。
例えば2X3=6であるが、2と言う数字を指数で表すと100.3010、3と言う数字を指数で表すと100.4771となり、0.3010+0.4771=0.7781になるから100.7781を計算(実際には数表で見る)すると6になるのである。電卓が便利になり計算尺などは死語になってしまったかも知れないが、計算尺は対数目盛になっていて、掛け算を和算にして計算しているのである。今はパソコンがあるから複雑な加減乗除でも何ともないが、昔は複雑な掛け算や割り算には苦労していて指数を使っていたのである。
(どうして2=100.3010の0.3010が算出できるかは、微積分や展開領域になるので説明は省略しよう、まともな理工科系の大学生ならわかるだろう。)
こんな事を知ると10α・10α・・・・10α(12回掛ける)=880/440=2 表現を変えて1012α=2でなければならないことがわかる。
- ここまで来ればもうお分かりだろう。12α=0.3010なのだから、α=0.3010/12=0.02508と言う数字になる。言い換えれば、半音上は前の音に100.02508=1.059463を掛けたものであるので、この数字を12回掛けて試していただきたい。全音なら1.059463X1.059463=1.122462となる。こんな事だから、上の音程に行くに従って、Hzの開きも大きくなって行く。このように掛け算でオクターブを均等分割したものを「平均律」と言うのである。
- では、純正律とは何か。純正律とは基音に和音が小さな整数比でピッタリするように1.25倍、1.50倍などの倍数の音を設定したものである。
- 三和音を例として、純正律と平均律がどれだけズレがあるのかを見てみよう。不思議なほど合っている。自然界や人間の感覚は指数だと言えるのだろう。
- 上表のように差は極めてわずかなものである。他の音や和音も同様である。
音楽が専門でもない私の推測だが、人間は感覚的に歌うものである。合唱などで伴奏楽器なしに歌おうとした場合、主音を純正律で出すことは出来るだろうか。主音は感覚的な平均律となっているはずである。そこに加わる和音だが、今度は主音を聞きながら平均律和音を加えることは出来るだろうか。それは非常に難しく、純正律和音が加わるのではないだろうか。だから、純に綺麗に聞こえるのだろう。こんなことで「合唱は平均律主音に純正律和音が加わったもの」と思えてならない。管楽器も音はある幅で共鳴するので、出せる音には幅がある。従って、主音も和音も合唱同様に思う。
- 博物館などで歴史物の古いピアノを見ると、純正律ピアノなどと言って、鍵盤が何段もあるものを見ることが出来る。弾くのも大変だが調律もさぞかし大変だろうと思う。平均律がいつ発見されたのかは知らないのだが、発見した人はすごいものと思う。間違ってはいないと思うのだが、以上のような理解がないと「平均律と純正律」と言うものは理解できないはずである。理屈をこねるとこんなことになる。