ホームページ開設の背景

 「理想的な世の中というものが何か」は一義にはなかなか定義できないものです。しかし、少なくとも思うことは、物質的や金銭的や裕福さ以上に、過大なプレッシャーがなく人間的に生きられる世の中・無駄の少ない世の中、すなわち「精神的および文化的に満足できる世の中、生き物と物を大切にする世の中」が理想に近いものと思うのです。ただし、いろいろ苦労やストレスはあって当たり前です。小動物だってストレスはあるのです。それがないのは、無機物だけです。
 終戦から日本は大きな変革をとげました。しかし、戦後50年ということで、社会も社会の仕組みも人間も古くなり、それらに膿や垢が多くたまり、残すべきものも開発や発展という言葉のもとに破壊してしまう、また、せざるを得ないような妙な世の中になりました。それらは日常報道をにぎわしております。高名や方々が、報道で世直しに関して厳しい指摘をしていても、何も変わらように見えるのです。
 社会の仕組みにしても「絆創膏」とべたべたと貼り付けるような対策ばかりで、複雑化し、ますます社会コストを増すように思えます。緊急策や当面策としての絆創膏は必要ですがしょうが、一方では「根本を変える」必要があるように思えます。社会のあらゆる面で、Simplicity(単純化)、Standaradization(標準化)、Safety(安全性)、Specialization(専門化・個性化)などを考え直さなければならないのではないでしょうか。自分のところは差し置いてですが、社会の基盤となる個人や家庭なども今のままでよいとは思えません。
 また、世の中には「不」の付くものが沢山あります。不満、不平、不安、不公平、不正などです。世の中はどろどろしたところで動いています。しかし、大手の報道はそれを真に明らかにはできません。大きいなりに諸々の社会的な影響を考えたり、圧力があるなどからです。大きくなるほど原点は書けないということになりましょう。すべてを明らかにすることが、社会運用のために必ずしも正しくないということもありますが、程度問題としてひどいものは明らかにすべきように思います。また、物事の表面を見るのではなく、核心と原因をきちっと見極めなければなりません。そうしなければ、根本的な解決には決して至らないからです。
 世の中は便利になりました。その一つに情報化社会があります。本や刷りものにして、人に配布しようなどと思うと大変なお金や手間がかかります。ところがインターネットの世界はおこづかいを節約することで済んでしまうのです。そんなことで、個人的なホームページを設け、私なりに「明らかにしたり、疑問をぶつけたりすること」を考えました。私などは所詮地域の小事業者で、知っていることはほんの一部や表面に過ぎないと思っていますが、一般の人にはさらにわからないと思うのです。私は電気技術者育ちですので、文化系(今は単純にこのように表現してはならないのですが)のことはよく分かりません。単純に基本だけ理解するようにし、単純に考え、単純に記し、吟味していない部分もあるかと存じますがあまり考えずに載せています。私の戯れ言と思っていただいても結構ですが、少なくとも一人一人の声を大きくしたいと思っています。
 私は1941年生まれです。長寿の家系ではありませんので寿命は長くても、残り20年はないでしょう。私は「若い人ほど世の中に真剣になれ」と言いたいのです。なぜならば、長く生きる分だけ影響が長く大きく、恩恵を受ける期間も長いからです。
                            1998年
50代後半に多少ため込んでいたものを一挙にまとめ、こんなホームページを密かに開設したのですが、いろいろな事情から、くたびれて改版は中断してしまいました。また、こつこつと積み上げたいと思います。
                            2002.2.10
 このホームページの開設は1998年ですから、もう6年経過してしまいました。最近は、得体の知れないまちづくり仕事や行政仕事にかかわることが多いのです。ここで日本というものをこんな風に感じはじめた。
戦後60年日本もシステマティックになったのだと思っていました。ところが、それは日本の一部の一流民間企業だけである、と思うようになりました。典型的なものは優良製造業です。残されたものほとんどは、戦前のまま何も変わっていないのではないかと思うようになりました。残されたものといえば、その方が多く、行政・警察・消防・銀行などなど親方や親方日の丸的にやられてきたもののほとんどは残されたものと言えるでしょう。純国内型のものもそうと言えるでしょう。それらの不祥事は、単に偶発的なものとは思えません。残されたものといえば、地域の諸々の組織もあります。
 日本がシステマティックになったのだと思っていたのは錯覚だったのです。しかし、残された部分がそれだけあると言うことは、それが良くなったらという可能性を多く持っていると言うことでもあります。それら事業体には真面目になって欲しいものです。しかし、真面目にと言っても、その中で生きてきた人には何が真面目で何が不真面目なのかはわかりません。これにどう対処するかがポイントでしょう。
 郵政民営化などもこれに含むでしょうが、一つだけ見ても、ともかく大変です。残されたものが、まあまあと思えるレベルに達するのは何十年後のことになるのでしょうか。残されたものには文化面もあります。衣食住だけで、何かを楽しむことなく一生を終えるのも寂しいものです。こんなことが全部まあまあと思えるようになってはじめて日本は本当の一流国家と言えるのでしょう。
 「歳をとったら、拙速にならずにのんびり行こう」ということも理解できるし、そうしたいのですが、未だにその気分になれません。
                                 2004.11.12
 2005年は、家の仕事、地域の仕事、病気などであわただしい2005年を過ごした。65歳になったが、2006年ものんびりはできそうもない。
2006年は、病気養生の傍ら、また新たな地域仕事が発生し、家の仕事は益々息子依存が高まった。
2007年ももう終えようとしている。でも、今年は孫が2人増え、3人になった。次々と世代の継承がない社会など何の意味もないのだから、結構なことと有り難く思っている。
                                 2007.11.23
 ホームページなどの大きな改版は、最期にしたいので、整理を開始することにした。
                                 2009.7.9
 東日本大震災が発生、またちょっと追加したくなりました。追加をはじめて思ったことですが、上記《2004.11.12の記述》を具体的に書いているように思える面が多く、自分でも驚いています。2004.11.12は大震災ない時代の記述、今は大震災で大きなダメージを受けた大きな環境変化後、努力度は大きく上げなければなりませんが、さてどうでしょうか。私も震災直後に古希通過しました。
                                 2011.4.29
僕らは小中学生の頃から「日本には資源は人しかない、人が頑張るしかない」なんて先生に言われて育ったんです。国土は狭いうえに山ばかり、しかし鉱物資源はないですから、それを売ってのうのうと生活できる国ではないですからね。戦争終了直後は、足袋と下駄で学校に通い、体操は裸足でやってましたね。では、勉強しまくったかと言われるとそうではないんですが「いつも頭に残っている一つ」ではあったんです。
その頃「自動車を持てる、外国に行ける」などは考えたこともなかったんです。親もやっとの思いで大学に行かせてくれたから、早く出て自立しなければと常に意識していて就職し働かされ、40歳頃になって日本の所得が(表面的にで中身を見ればまだまだでしたが)一応ヨーロッパに追いついたなどという記事を見て「あ!そうなんだ、そんなこと訳もわからず働いてきたが、日本は輸出などでそんなことをやっていたんだ」と思ったんです。
今の若い人は「日本には資源は人しかない」なんて思っている人はどれだけ居るでしょうかね。意識が高まった中国やインドなどがどんどん追いかけて来ているから、国家の将来方向を明確にして、それに向けて教育などの国民意識を高めたり、(行政などを含む)非生産部門も無駄をしないようにしなければ、また貧乏国に戻るようになると思っているんです。中国やインドの立ち上がりが遅かったのは、人口が多くてまとまるまで時間がかかったと言うことでしょうね。
私達はもう先は短いですが、若い人ほど先が長いから大変ですね。
2011.3.11東日本大震災が起こりました。一言すれば「戦後、経済一辺倒で非常時の備えを怠ってきた平和惚け日本の弱点が露呈した」となるのでしょうね。具体的に言えば、一部の優良企業は、世界と互角に戦えるようなシステムを構築しているが、政治・行政・競争が少ない国内安住型の企業などは未だに戦前のままなんて言うのも多いのではないでしょうか。官僚から国家公務員に変わっても、意識は官僚のままだったり、それが経済的に安定した国家になったので益々保守的になったり、寿命が延びたのでいつまでも老人が権限を振るうようになったり、と言うのが今の日本の姿ではないでしょうか。戦後直ちには無理としても、1970年頃からは社会改革ができる素地が出来はじめていたのに怠ってきた。教育問題・年金問題などなど皆そうではないでしょうか。今回の震災が、社会システム見直しのよい切っ掛けになってくれればよいのですが平和惚けのままでは「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」となるような恐れが大きいのではないでしょうか。ころころ変わる政治や政治家では一貫性がないですからね。とどのつまりは「選挙民が平和惚けしているから悪い」んですね。       2011年9月