B病院

2005年

(B1)3/28《初診と触診》
 B病院を訪れて、最初は触診検査だった。所詮、触診だから余程異常がなければわからないはずである。病院に自分自身かかるのは45年ぶりである。
 紹介状を持って初診受付に出向くと、紹介があったということで病院からの情報を元にカードなどすべての準備がされておりちょっとびっくりした。病院の情報システムの進歩にも驚かされた。BX医師に通された。年齢50歳くらいで格上の先生のようだ。結構はっきりと話していただける医師である(と最初は思った)。A病院での今までの経過を説明した。触診されたが、触診では異常は見られないと言う。尻の穴からいじられて尿意を催す。
 アンケート調査に答えさせられた。答えるのに20分位費やしただろう。何か精神状態のチェックのようだが、細かいことは忘れてしまった。これは癌告知の場合の患者の精神状態をチェックするもので、癌の告知などの判断に使うのだろうと思うようになった。このチェックで精神状態が強いと判断すれば患者自身に告知するし、弱いと判断すれば家族にというようなことになるのだろう。この点、この病院は極めて患者への精神的対応が密である。

(B2) 4/5《超音波検査1》
 小水をためて医局を訪問、尿が我慢できなくなったら申告し、トイレへ、直ちに残尿検査を実施した。残尿があるという。朝一杯飲んでくるので、出はじめると一旦出しても、直ぐにたまってしまうと応じる。毎日、朝11時頃になると2回連続して小水などもあるのでこれは間違いないだろうと自分で確信していた。

(B3) 4/11《超音波検査2》
 小水をためて、流量と残尿検査を実施した。残尿には気を使って排尿した。最近の私は歳のせいか、小水を急いで出そうと思っても出ないので自然に任せるようにしている。その後、医師と面談したが、流量は40代後半、残尿なしと聞いた。しかし、暖かい日であり、そんな影響もあるだろう。
 その後、超音波検査を実施した。超音波検査は超音波をかけると振動が起こる。その振動の状況で患部を検査する方法である。直ちに結果は分かったが、この範囲では異常なし(小さな腫瘍はわからない)だった。しかし、血液検査に異常があり気になるので、生検に進みましょうということになった。仕事事情から生検までちょっと間があくこととなった。

(B4) 5/25,26《生検・準備》
 いろいろな個人事情・仕事事情から5月の下旬をお願いしていたところ中旬に病院から電話が入ってきた。入院日25日、その前に事前の検査に来て欲しいというので17日をお願いした。電話の向こうでは「検査予約を入れておく」と言っていたはずである。17日に訪れると予約が入っていなかった。予約の機械にカードを入れると「予約なし」と出てきたが、あっという間に職員がとんできて事情を聞かれた。「予約が入っているはずなのに」というと、泌尿器科に連絡しながら迅速に手続きしてくれた。この迅速な手続は買うが、予約が入っていなかったのは「病院のシステムの遅れなのだろうか、担当者のうっかりなのだろうか」入院も大丈夫なのかと思いながら検査を終え帰ってきた。検査前にも入院事項を確認したのだが、帰ってきて「抗生物質を渡されなかった」のに気付いた。ただし、入院事項に「抗生物質の飲まなかった場合は注射で!」と書いてあったので、そう言う方法もあるのを知り、病院には何の連絡もせず、入院することになった。

5/25《生検》
 9時頃病院に着き入院した。手続きし病室に案内された。午前中の検査を予定していると入院当初聞いたが、結果的には午後2時となった。午前中には、看護士からこれまでの経過を聞かれたので、上述のように血液検査数回と超音波検査など経過を話したが、以前医師にも話したこと、分業でここまでは情報交流が行われていないのだなと思った。午後2時の検査で再度抗生物質の確認をされ「もらってもいないし飲んでもいない」と答えると筋肉注射をされ検査に入った。
 いよいよ検査という直前に麻酔もしそうにないので痛さを聞いてみた。その位は聞いておき頭に入れ検査に対処したかったからである。痛くはなくショックがあるような話しを聞き検査に入ったが、その通り痛みは、肛門を強引にひろげられた痛みだけだった。細胞をとるとき腸の奥でショックを感じただけであった。気持ち悪くもならなかった。麻酔もうたないから痛みはないのだろうが、こちらから聞く前に、痛みへの簡単な説明は欲しかった。

5/25《検査直後》
 検査直後、尻が濡れている気がするので拭ったところ大腸からの出血だったが、少しでこれは直ぐに止まったようだ。夜に大便をしたが、出血はなく検査直後の出血が大腸内に残っていただけで出た便から血が溶けだした状況程度だった。

5/26《その後》
 朝、微熱があったがそれも10時頃にはなくなり退院となった。小水への血液の交じりも検査翌日の午前中まではまったくなかった。退院時、結果を聞くための外来の日時調整を行ったが、検査員が「いつ外来したいか」という、結果報告の先生は誰でも良いような雰囲気なので、私の担当先生はBX先生だからと曜日を指定すると、調整に行きそれでよいという。どうも生検と外来がリンクしていないような気がした。
 病院からバスで帰り家で小水をしたところ、はじめて血交じりだった。検査案内に血が混じる事が書いてあったが、遅れがあるとは書いてなかった。考えてみれば、当然のことで前立腺が傷つけられ出血するが、尿道との間には間があるし、精液が直ちに尿道に漏れ出すことはないので、直ぐには血が出てこないのだろうと思った。
 血交じり小水は、少しずつ薄くなったが2日ほどして、血の塊のようなものが出てきた。これで血交じりは終わりかなと思ったのだが、その後も血交じりが小水の最初だけ出る場合がある。それで、前立腺内にはまだ出血した血が残っていると思った。そんなものを体内にいつまでも置きたくない。それで、意図的に出してみた。予想通り「赤葡萄の絞り汁」のようなものが出てきた。検査1週間後のことである。あっているかどうかは別として私の場合こんなことは自分で考え対処し納得してしまう。しかし、そうでない人も多いだろう。検査に入る前にこんな状況は一応具体的に知らせてもらった方がよいだろう。変に関係を持ったら相手がびっくりしてしまうだろう。精液から色が消えるには3週間ほど時間がかかった。一貫して痛みというものは感じなかった。私は、このようなことに関しては多少鈍感だから、と言うこともあるのだろう。
 この生検であるが、PSAで異常が発見され、生検を実施したが癌細胞は発見されず経過を把握することになり、再度生検を繰り返すというような場合もあるようだ。しかし、身体に傷をつけ害することに変わりはない。頻繁な生検には問題もあるようだ。放射線治療なども、身体に害を与え何度も繰り返実施でにるようなものではなさそうだ。

(B5) 6/20《癌の告知》
 病院を訪れると「10個所中1個所から出ました」と言われてしまった。あり得ることと思っていたので、本当のことを言ってドキリとはしなかった。「ありましたかー!」と医師に淡々と返事した。恐らく血圧も少々しか上がらなかっただろう。ドキリとしなかった理由には「出る出ないは半々」とある程度覚悟していたこと、進行が遅い癌であわてふためく必要はないことを医師から聞いていたこと、私の人生は先代寿命を考えてみると90%に達しており残り10%などと日常話していて何歳まで生きると言うことなどにはこだわっていない、などが理由であろう。

 今後の治療法について、医師から説明を受けた。手術・放射線治療・ホルモン治療や化学療法・経過観察と4通りの対処法があることを説明されると同時に、説明書を渡された。
こんな説明も受けた(以前の通院で説明されたものも含む)。
・前立腺癌は一般的には進行が遅い癌で、気付かず他の病気で亡くなる人も多い(特に高齢者)。
・老人は結構持っている。
・進行しない場合と進行する場合がある。
・放射線源埋め込み治療は今日本で行われはじめたばかりで効果はありそうであるが、本院ではできない。また、待っている人も多く待たされる。
 自分もゴルフをやり、プロゴルファーの杉原照雄さんが数年前発病したが手術せず、トーナメントに参加しているのを数年前の彼の発病から知っていたので、医師に直ちに「我が家系は長寿の人は短い、進行が早くなさそうで経過をみることが許されるならば、ホルモン治療などで様子を見たい、秋になったら根本治療を考えてみたい」と直ちに話した。この時点であまり深い知識は正直持っていなかった。医師は「それでよいとも悪いとも言わず」黙っていた(結果的には回り道だった)。ただし、転移などあると困るので、CTと骨シンチの検査をすることになった。この判断は私自身間違っていたように思う。なぜならば、杉原プロの病状を誰も正確には知っていないからである。

 病院から帰ってきた私に妻がどうだったと聞くので「癌細胞があったよ」と応じた。翌日はゴルフに行った。この日から禁煙に近い節煙を決めた(でも術後は戻ってしまった)。ゴルフ中タバコは吸わなかったが、午前中は40午後は43しかも出だしでトリでだ。こんな状態で83、自分でもおかしな精神状態と思った。

(B6) 6/24《CTと骨シンチ検査》
 CTはComputed Tomography(断層写真)とある。造影剤を打ってX線をかけながら断層写真を作成し検査するのだが、造影剤ははじめてだ。それが身体に入っても何も感じなかった。CT検査は20分程で10時頃終了したが、骨シンチの次の検査のために今度はγ線の出る溶液を注射しなければならない。1時間ほど待たされるというので、食事に行った。CTのときに注射を打ったが、また注射というので腕には針を刺したままにしてもらった。程良い時間に食事から帰ってくると注射を打たれたが、身体中に回るまで検査が出来ない。検査は午後3時半であるので一旦家に帰った。2時半に再度家を出発し、検査を受けた。
 検査担当者に「シンチとは何?」と聞いたが、知らないと言うので、家に帰ってインターネットでシンチを検索し「scintillation(火花、きらめき)」を知った。それ以上は調べていないが、γ線放射(きらめき)を放射線受信用のシンチカメラ(スリットで)が捉えるのだろう、などと思っている。この検査も20〜30分ほどで終了した。

(B7) 6/30《医師面談と腰部レントゲン検査》
 妻が一緒に行くと行ったが、断った。私の基本には「一人で出来ることは一人でする」がある。なぜ、それが基本にあるかと言えば「この家で一人で出来ることを何人でもやっていれば立ち行かない」からである。これは義父の闘病で20年以上も前につくずく感じている。病気になった人間も我慢しなければならないのだ。

 検査結果としては、一応転移などの問題はないように思えるが、右足の付け根と脊髄に放射線が集まっている場所(異常を起こしているところに放射能が集まる傾向がある?)があり、念のために今度は腰部のレントゲン検査をやってほしいという。脊髄は若い頃から何回か痛めたことがあるが、医者に通うほどではなかった。大学時代コンクリートの上で縄跳びをし痛めた、会社員になりゴルフで痛めた、などである。椅子に座れないほどではなかったが結構大変な思いをした記憶がある。また、10年ほど前の梅雨時店前の側溝で右足を滑らせ、股の筋を痛めたり、数年前雪国で滑り右腰を打ちしばらくびっこを引いていたことなどを思い出し話したが、正直なところ転移かどうかはわからない。医師もはっきりして事は言えず「転移はなさそう」と小声で言う判定である。
 面談でホルモン治療(というよりは経過観察の対処療法)を決定し、レントゲン検査を受け、処方箋を出してもらい。薬局でカソデックスを受け取り帰ってきた。
 この時点で
《聞き忘れ》
・通院後何回か血液検査をしているが、肝心な値を聞いていない(何回か血液は採られているがPSA測定は3/28日のみだった)。
・転移があるのかどうか。医師もはっきりとは判断できないようだ。

(B8) 7/11《面談と骨密度検査》
 今回から注射をしますという。肩と腹の2種類の方法があるというので腹を選んだ。肩は固くなることがあるというのでゴルフに影響があっても困るから避けた。注射で細いカプセルを腹に埋め込んだ(注射時には何も言われなかったのだが、後のC病院の医師から注射をした確認された。「はい」と答えると「あれをやると、即勃起能力はほぼなくなってしまう」と言われた。事実そうだったので、ここで注射の影響というものを実感した。私の場合は、還暦過ぎ人間として勃起能力がなくなるのはあまり問題ないのだが、トイレで小水を出そうとするときにペニスが縮んでいるのには困る。何故ならば、ズボンを汚す機会を増やすからである。)
 この面談で私も妻も医師に対する疑問を感じることになる。何故ならば「ホルモン療法でよいのか」と妻が医師に問うと「患者さんが望んだから」という返事が返ってきたからである。技能を持った医師で自分にプライドがある医師ならば「私としてはこのような治療を推奨する、一時は・・・でもよいが 」などと返って来るのかと思っていたら、こうだったのである。ホルモン治療をスタートするときに医師に「当面策として、秋には本格治療を」と医師に話していたからである(手術をするならホルモンはやらない方がよかったと後日C病院で否定された)。
 2時半の骨密度検査だが医師の面談を終え、検査室に行くと直ちに出来るというのでそのまま検査を受けた。聞くと微弱X線による検査という。30分ほどで終えた。骨密度の検査もホルモンを使いはじめると密度が変わって行くので元の値を把握しておきたいのだと勝手に推測している。医師の説明も特になく、その瞬間には「あれ、また検査」と聞くのを忘れているからである。
 翌日7/12は実弟と息子とゴルフだった。気分よくゴルフというわけではないが、90だった。多少は様子を知っている実弟から「どう」と聞かれたので「杉原プロと同じだよ」という一言でほとんどが伝わってしまった。

《その後》
 ホルモン療法に入ったので、当面療法として頻繁な病院通いは必要なくなった。次は9月である。2ヶ月近い余裕もある。今まで仕事の傍ら頻繁な病院通いがなくなりほっとした。また、事業上なども余裕がある時期である。こんなことで根本治療も頭の中を巡るようになった。
 ホルモン療法(注射と錠剤)の影響はといっても正確にはわからないのだが、3ヶ月ほどでは身体への影響というものは感じなかった。ただし、はっきりとしたことは言えないのだがこんなことはあった。私の場合、季節の変わり目になると身体がほてり熱っぽく感じることがある。特に、9月頃涼しくなる時期にそれが起こる。ところが、この時期に「少し動くと急かつ異常と思えるほど身体がほてる、しかし汗も出そうで出ない、これが少々苦しい、静かにすると直ぐに治まる」という変な状態になった。この状態は続いていた。妻に話すと「暑い暑いと言っているわね、女性が更年期になってホルモンバランスが崩れるとそう言う状態になることがある」などと言っていたが、妻も素人で本当のところはわからない。少し弱くはなったが、手術後1ヶ月してもこうなることがある。急にホルモンが消えることはないだろうからと勝手に解釈している。

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