C病院

(B病院も含む;(B)はB病院)
7月〜《自己調査》
 7月上旬、妻が新聞である先生の書かれている前立腺癌治療の記事を見た。これで、今までの治療に疑問を持つようになった。偶然にもその先生は、深い関係にある知人を辿ると容易に行き着ける人であった。知人から先生への連絡をつけていただいた。そこで、セカンドオピニオンの可能性に向かうことになった。今まで、セカンドオピニオンが頭にないと言うことはなかったが「フリーでそのようなことをしても、どれだけよい先生に会えるかに疑問があり」そうしようとは考えなかったのである。
 以前からBX医師にインターネットにいろいろ出ていますと言われていたが、この時期になってはじめてインターネットでもと思うようになった。本格的な治療を近い将来目指さないとならないからである。インターネットで検索しいろいろ経験者の記録を見せていただいた、実に様々であり、詳細なもの研究熱心なものがあった。私などここまではとてもできない。

(B9); 8/1《セカンドオピニオンの意志表示》
 B病院を訪れ先生に「知人にC病院に近しい人が居て、是非と言うことで意見をいただいた、BX先生には申し訳ないが、CY先生にセカンドオピニオンをお願いできることになった」とデータの提供をお願いした。BX先生には「この社会ですから」とあっさりとお願いに応じていただけた。両先生は学会などで知っている間柄であった。

(B10); 8/4《データの提供》
 この日にデータをB病院から貸し出していただけた。知人を会してこのデータをC病院のCY先生にお届けした。

(C0); 8/24《C病院セカンドオピニオン》
 実質的にはセカンドオピニオンという形式で、C病院のCY先生にお会いすることが出来た。B病院からの紹介状とデータを眺めていただきながら、また、ご自身が監修された本(一般の人ではなく開業医に参考にしてもらうための本)も見せていただきながら1時間ほどたっぷりお話しをいただいた。理路整然としたお話しで極めてよく理解できた。
 今までのB病院の考え方と違うようで、私ならこのような処置はとらないとおっしゃっていた(患者の私が当面策としてお願いした事と説明したが、CY先生は患者からそう言われても私なら譲らないと言うような雰囲気だった)。1時間ほどの懇切丁寧なお話しで、こちらも理解でき、この面談で後のほとんどは決まってしまったように思っている。実に、有り難い面談だった。

 本を買ってきて読まずに次ぎに伺うのは先生に申し訳ない。必死と言うほどではないが、比較的真面目に重点的に目を通した。所詮専門家用の本であり、詳細にはわからない。しかし、多少物理的なことは好きな私で大筋はつかめた。先生の方針に従うしかないと思った。影響した点は、こんなことである。 (C1); 8/26《C病院手続と検査》
 24日に訪れたとき、先生は次は奥さんでも来てカルテの作成をと言っていた。私が多忙と思ったのだろう。自営業ですから、特別な事がない限り都合はつきますと、自身で行くことにした。病院通いとなると奥さんに付き添ってもらってる人が多いが、そんなことでは情けないし、一人で済むことを二人という余裕も当家にはない。
(B11) 9/1《B病院へのプレパラートの貸出依頼》
 BX先生に面談し、CY先生から渡されたメモを渡した。渡す前に「お陰様でCY先生にあうことが出来、1時間ほど懇切丁寧なお話しをいただいた。CY先生は切るか放射線かどちらかを選択するように思える」とお話しした。BX先生とはこんな長い懇談はなかった。前立腺の大きさはメモでいただき、プレパラートは病院間で直接やりとりをしてくれることとなった(そのようなルールらしい)。

 医療格差は昔から感じている。従弟の母や、息子のヘルニアと喘息の時、などである(病院は異なる)。
B病院にはまだ、残っている検査がある。9/5の血液検査、9/12のその結果報告である。これは、どうしましょうとCY先生にお聞きしたのだが、特に何も言わない。手術に向かっている以上、あまり意味ないことであるはずであるが、現状は両病院での並行治療状態、B病院はもうよいと言うこともできないのだろう。

(B12); 9/5《血液採取》
 ホルモン治療の効果把握のけじめとして血液を採取した。採取だけなのでBX先生にはあわなかった。

(C2) 9/9《MRI検査》
 C病院ではこの検査を常に実施しているようである。B病院の検査に追加実施することになった。
が印象的だった。結構丁寧な検査のように思えた。最終10分程は造影剤を打っての検査だった。

(B13) 9/12午前《血液検査結果報告》
 PSAが0.3になったという以外何もなかった。午後にC病院で治療の最終方針を決めるのだが、その前なのでホルモン治療のための薬の処方箋を書いていただき、薬をもらって返ってきた(結果的にこの薬はほとんど使用せず、偶然同じ病気で治療している友人が同じ薬を使用しているので、退院後の後日あげてしまった)。

(C3) 9/12午後《最終方針決定》
 超音波検査を実施し、その結果と9/9のMRI結果とを持ってCY先生に面談した。C病院では細胞の悪性度を少し高く評価したようで、グレーソン値は7、放射線治療は6までとC病院は基準を決めているので腹腔鏡による摘出手術を勧められ、直ちにそのようにしていただくことにした。本当に7なのかは先生を信じるしかない。テキパキと下記日程が決められた。
《入院日 10/1、手術日10/4、退院は何もなければ1週間後程度》
看護士長に面談し、手術のための説明やこれからの生活説明を受ける。タバコをやめて欲しいと言われる(後述)。

(C4) 9/14《麻酔の説明》
 入院前に麻酔の説明を受けることが義務付けられているようであり、ビデオを見せられた後、麻酔医と面談した。腹腔鏡による手術で、痛みも大きくはないだろうから全身麻酔だけで手術を実施すると言われた。私の方からは、19歳の時痔で手術を受けたことがあるが、痛みも全くなく、今回も同じかも知れないとお話しした(事実そうだった)。

 以上が入院までの経過である。ここでB病院とC病院の差をまとめておこう。
比較対照B病院C病院
触診 急激に指を押し込まれ肛門が痛かったし、前立腺を強くさわられたので、尿意を大きく催した。触診ではわからなかったようである。 ソフトな触診で左記のようなことはなかった。右側に少し固いところがあるように思える、と言っていた。先生の感性による微妙な差はあるのかも知れない。数ヶ月経過しホルモンなどの影響で状況が変わっているのかも知れない。
血液検査 3/28に訪れたときにPSAの値を把握している。その後、入院などで2回血液検査をしているのだが9/5の血液検査までPSA検査は含まれず変に思っている。  
流量検査
残尿検査
実施したが癌と関係はあるのだろうか 実施するそぶりもなかった。多分、B病院データーでほとんどわかっているからだろう。C病院では外来で訪れると、まず尿の提出を行うことからはじまる。
超音波検査 実施 実施
CT検査 実施 B病院のデータを借りて対処
骨密度検査 微弱X線によるのだそうである。ホルモン治療をやると身体が女性的になり密度低下を来すのかも知れない、説明もなかったので勝手に思っている。 実施していない。ホルモン療法の方向ではないので必要ないのだろうと、勝手に思っている。
骨シンチレーション検査 実施;「シンチとは何?」と検査窓口で聞いてみたがわからなかった。放射線を出す造影剤を打って、しばらくして薬がまわった頃、シンチカメラで映像をとらえるもののようだ。放射線は四方八方に散るから、スリットを通してとらえるのかも知れない。 B病院のデータを借りて対処
生検検査 実施 B病院のプレパラートを借りて対処
直接レントゲン検査 骨シンチの結果、腰部に転移の心配があり、より詳細に確認のために実施 手術のための肺レントゲンをとった。
MRI検査 実施していない 実施;C病院ではこれも使っており、追加検査となった。磁気変動をかける(?)から音がする。いろいろな音程や断続だった。トータルで40分ほど、最初は造影剤なし、最後の10分ほどは造影剤投入だった。検査がC病院固有なのか念入りなのかであろう、
治療方法
 通常手術
 腹腔鏡手術
 放射線照射
 小線源
 

×難しいとだけ書いてある。

×
 
○可能だが勧めないだろう
○難しいが危険はないと先生は断言。

医師 患者意思を重く見過ぎ?、先生の研究は生殖(能力向上)の方のようである。
後でインターネットで先生を検索し論文内容から知ったことなのだが、同じ泌尿器範囲でもいろいろな特性の先生が居ることを知った(当然と言えば当然のこと)。
医師がベストと思う方法を勧めている様子、セカンドオピニオンや転院の切っ掛けもはっきり言っていただける医師に会いたかったことである。先生の研究は、療法のようである。

こんな事で腹腔鏡による手術に向かうことになった。
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