退院後日記

05年10月
 私には術後の痛みはほとんどなかった(手術法と体質)から、以下の記録はほとんど失禁からの回復記録と思って良い。個人差も大きいようだから一例である。失禁にはちょっと苦労する。現実に失禁などは経験していないから、これがどうもピンと来ない。そこで、私の場合をちょっと記述しておきたいと思う。私は自営業で家と事業所は隣り合わせである。こんなことから退院日から仕事復帰しようとしたのだが、止められ翌日(術後9日)からとなった。失禁はがあるが、こんな自営環境だから、あまり問題はない。しかし、通勤がある人の場合はしばらくの間つらいと思う。

退院後の1週間
13〜19:+9〜15
家に帰ってきた。用意したものは次のようなものである。自分から考えたもので、こんな風にしたらと指導はされなかった。
  • 尿瓶
    寝室と事務所に用意した。尿瓶を用意した理由だが、膀胱が正常ではなく蓄積量が少ないために頻繁にトイレに行く、ところがベッドから起きて立ち上がる体勢の変化で尿漏れをおこしてしまう。頻繁にパッドを変えなければならなくなる。また、夜間は頻繁に起きるのは大変である、などである。結果的に事務所ではほとんど使わなかった。
  • 尿吸収パンツ
    わからないから妻が「(1)厚地の合成繊維製失禁パンツ、(2)薄地の合成繊維製失禁パンツ、(3)木綿で洗えるが尿吸収力の極めて弱いパンツ」の3種類を用意した。この他にパッドを2種類((4)大型のものと(5)中型のもの)用意した。
    合成繊維製失禁パンツには、それだけで用を足すようパッドがついている。それだけかさばる。木綿のものはの尿吸収力は申し訳程度であるがパンツは薄く肌触りはよくかさばらない。
     こんなことで、数日いろいろ使ってみたが「(3)+(5)」に落ち着いてしまった。(5)で漏れた尿を吸収することを主体にするが、万一それでも漏れた場合は(3)で補う方法である。(3)を日中交換することなどはほとんどなかった。
    (1)は多分寝たきり病人などを考えているのだろう。パッドを使うと二重になり厚ぼったく圧迫感もあり私の場合は不便であった。T字帯は日常生活に入ってから使うのは脇への漏れからズボンなどを汚すことを考えると問題だろう。
    夜寝るときは(2)+(5)とした(買ってきたものが余ってしまったことと、汚した場合に直ちに交換できるので)、ただし、なくなるまで使い続け11月終わりには(3)+(5)となった。
    (3)木綿で洗える尿吸収力の極めて弱いパンツは、こんなことで特に冬場は使い続けたいと思った。年齢を経ると尿の切れが悪くなる。急いでトイレから出てくると、パンツを汚しズボンまでしみ出すこともある。だから、最近はのんびりトイレ、滴りがなくなるまで待つようにしている。こんな対処にこれは便利である。少しの漏れなら問題ないし暖かい。
  • 尿吸収パッド
    パッドはありとあらゆるところに置くこととなった。家では、トイレ・風呂場・居間の3個所、事務所などである。
    失禁状況だが、
  • 昼間・・トイレに行くより、漏れている方が多い。尿意を催した場合、トイレに行くために体勢を変化させる。そうすると失禁がちになる、肛門をしめ我慢しトイレに行くと一部漏れてはいるが残っているものもある。少しずつ残りは多くなり、よくなっているようだ。
  • 夜間 尿瓶でとっているがパッドへの漏れもあり、70:30位だろうか。少しずつ少しずつだが、1回で夜尿瓶にとる尿量は増しているように思う(最大で100〜150cc位)術後20日ほど経過したら、200位は溜まるようになった。
  • こんな状況で、パンツ1枚・パッド10〜15枚を消費する。
  • 1回だけ尿に血が少々混じった。先生からそのようなことはあり、血が止まらないようなら病院に来て欲しいと言われていたので様子を見たが1回だけであった。
    こんな事にも気付いた。
  • 体勢を変更(座った状態から立つなど)しようとすると漏れるから、尿道の筋肉を一生懸命絞めて立とうとする。そんなことをするより、自然に静かに立った方が漏れが来ないように思われる(10/13:+9)、
  • などである。
《外出時》  こんな注意が必要になった。
・パッドと必要に応じて替えの失禁パンツを持参、
・汚れたパッドや失禁パンツを外出先では捨てられない場合があり、汚れたものを入れるビニール袋数枚の持参
である。
10/13:
+9
急いで出ることもないので昼頃、事務所へ
10/14:
+10
平常通り出勤
10/15:
+11
  • 失禁未だに先が見えない。
  • 回数は多くないのだが骨盤底筋訓練で強く絞めすぎているのだろうか、肛門と尿道筋肉に重苦しい感じがする。少し、骨盤底筋訓練を弱くやろうかと思う。
  • 鬱血から来たと思われる左足付け根のあざはほぼ消えた。
10/16:
+12
  • 急にだが、膀胱に100〜150が溜まるまで少し小水を我慢することができ、意識的にトイレで出せるようになった。失禁に少し光がさしたか?
  • 少し酒を(日本酒100cc程度)試してみた。酔いが早い。半月も飲まなかったのだから。
10/17:
+13
《B、C病院の関わり合い》
 これまではB、C病院両方との関係を持っている状況にあった。B病院ではいろいろな精密検査の後、当面策としてのホルモン治療を受け、C病院ではB病院から各種検査データの提供を受け摘出手術を受けた。医師同士も知り合いであり、本当に有り難い協力関係であった。しかし、お互いの処置を冒すような行動を医師側からはやりにくい状況が観てとれた。それは当然だろう。入院直前にB病院のBX先生にC病院での診察結果摘出手術を受けることになったという報告を9月末に手紙でお送りし(お会いしてお話しする時間はなかった)、C病院に入院した。
 手術後の病理分析はこの時点では結果は出ていず、転移ありなしなどの正確な判断はできていず28日の外来診察ではっきりする。転移があればホルモンなど別の方法に向かわなければならないだろう(そんなことはないように願いたいが)。このようなことで、今後どのようにするかははっきり言って病理の結果の判断待ちである。退院時にC病院に相談するとCY先生は判断は患者にお任せするというような雰囲気だった。そこで手術で患部を摘出し、一番状況に詳しいC医院に今後は総合的にお願いしたいと述べて退院してきた。
B病院を訪れ(自分で車を運転して)、当面はC病院で総合的に面倒を見ていただくことにしたいと、BX先生にお話しした。BX先生は、病院の治療差もあり今回のC病院での手術は理解していると話された、また場合によっては出戻るかもしれないことをお互いに理解し、BX先生への報告を終えた。転院という結果、このように両方の先生に気を使わなければならない点があった。


《痛み》
 術後切除した前立腺近傍の場所の痛みはまったくない、しかし、その周囲に痛みという程でもなくチクリと痛みのようなものが一時走る場合がある。顔をしかめるようなものではない。退院まではあまりなかったのだが、退院して数日するとこんなことを感じるようになった。
10/18:
+14
  • 歩いて10分など経過すると、肛門付近が痛いというのではなく、重苦しい感じがして苦しい。座っていれば大丈夫。デパートへ行った。夜は地域会合に出席し、2次会はやめて帰ってきた。
  • 入院の後半からそうなのだが、夜寝ているときは尿意をもよおすとちょこちょこ起きて尿瓶にとる。だから、尿漏れは少ない。昼間は、パタパタ動いているせいと座っているという姿勢からだろうか、70%をパッドに依存してしまう感じである。1日にパッド消費量は10枚程度だろう(厳密には数えていない)。
  • シャワーを主体にし、はじめて1分ほど40度の湯船につかった。何時から湯船にとは聞かないで退院してしまったが、自己判断でもう良いだろうと思った。失禁が少し軽くなったのも理由である。そうでなければ湯船におしっこを垂れ流してしまう。
10/19:
+15
今日は事務所で静かに仕事だった。尿意を催し、トイレに行くと、まともに出ることも結構多かった。今までは、小水が真下に落ちる感じだったが、かなり放物線を描くようになった。昼間のパッド数は5程度だった。
10/20:
+16
  • 今日は、事務所内だけなので具合がよい。
     こんな風に感じている。骨盤底筋の訓練をしなさいと言われている。ベッドに寝続けている患者ならば身体の力が抜けているので、意識しなければほとんど骨盤底筋の訓練などできない。ところが、起きていると立つとき座るとき体勢を変えるとき、これに失禁意識が加わるから年がら年中肛門を絞め筋肉訓練をしている結果となる(のではなかろうか)。起きて生活しているならば、100回をノルマにし骨盤底筋に疲れや筋肉疲労を伴うまで無理な訓練をしなくてもよいのではないかと思うようになった。そこで、自然な生活+α(気付いたときに訓練実施)という状況で様子を見てみようと思う。
  • 酒はほぼ毎日飲んでいるが100cc程度である(ワインや日本酒ベース)。
10/21:
+17
  • まだ、尿瓶:パッドへの漏れ=3:1位だろうか。尿瓶への尿取り回数は夜11時から朝7時まで5回程度である。1回で相変わらず100〜150ccである。なかなか1回の尿量は増えない。膝下のふくらはぎが結構だるいのは相変わらずである。
  • 地域仕事で夜、屋外で3時間ほど座りながら筆を持たなければならない仕事があった。心配したが、特に支障なく安心した。この間パッドは3回交換した。
10/22:
+18
  • 体勢を変えると(座っていて立つなど)漏れを起こす。以前は、ほとんどが漏れてしまったような印象である。しかし、少しずつ「漏れは起こるが途中で止まり、トイレに行けばそれなりに残っている尿がまあまあの勢いで出る」ようになった。
  • 底筋訓練は、日に数回意識したときだけにやる程度である。仕事をしているので、立ったり座ったりの度に、尿漏れ防止のために底筋訓練を無意識かつ自然に実施している。
  • 尿意を感じ、静かに体勢を整えながらトイレに行けば、少ししか漏れない、という状況になってきた。やっと1段階クリアーという気がする。しかし、尿量はまだ150cc程度で、術前の半分程度だろう。その分回数は増える。
この頃になって:
 お医者さんからは、術前は病状などを克明に説明される。しかし、手術直後のことについてはあまり知らされない。手術後からこの頃までにいろいろな疑問がわき起こったので記述しておこう。
  • 腹腔鏡で何カ所化の穴を開けたが、各々の穴の役割は何だったのだろうか(企業秘密?)。
  • 前立腺摘出をしたが、とってしまった空間はどうなっているのだろうか、その後どうなって行くのだろうか。
  • 精嚢も摘出をしたが、とってしまった空間はどうなっているのだろうか、睾丸から精嚢への管はどう処理したのだろう。
  • 摘出直後は、ドレインで患部にしみ出す体液の排出を行う、数日してドレインを抜いた後(私の場合は2日後)は、体液は出ないと言うことではなく、出た分は自然に身体に吸収されるだろうが、最終段階までにどのような経過を辿るのだろうか。体液の吸収で身体にどんな影響が出るのだろう(リンパとの関係)。
  • 手術直後には、切除、摘出、縫合などなどで患部は熱・腫れなどなど正常な状態ではなくなっているだろう。尿道カテーテルを抜いた段階(私の場合は4日後)でも、それらはまだ完全な正常状態にはならないだろう。この段階で底筋訓練は、どの程度行うのがよいのだろうか(やりすぎると患部や尿道が重苦しくなる)。 腫れなどがなくなるのはどの程度の期間を必要とするのだろうか。
  • 退院後、どの程度起き、どの程度休んでいるのが適切なのだろうか(私の場合は、通常に仕事に復帰、患部が重くなるとちょっと休むというペース)。
  • どんな運動が、どの程度の時期から出来るのだろうか。
  • スメグマ(亀頭に溜まる垢のようなもの:精子の死骸のように記憶している)は前立腺をとったのだから、出なくなったようだ。しかし、前立腺から亀頭へは細いパイプの接続があるのではなく、スメグマ処理を考えると太い接続があるのかも知れない。そうすると、手術での前立腺の取られ方で個人差が大きく出てくるような気もしてくる。
 患者毎に状況は異なり、厳密な説明はできないと思われるのだが、上記がおおよそどのような経過を辿るのかは、ちょっと知っておきたいことである。それによって「こんな経過を辿るのだから今は異常ではない、順調に回復している、こんなことで良いのだ」などなど患者個人の自己判断も効き、患者にも安心感を持たせることができると思うのだが。しかし、患者からこんなデータを集めるのは難しいのかも知れない。
10/23:
+19
特記事項なし。
10/24:
+20
夜8時まで事務所番は少々堪えるので、5時少々で家に退去する。やはり楽である。今後少し早めに帰るようにしよう。尿道からほんの少し出血があった(その後は26日までない)。
 ゴルフのアプローチをやってみた。力を使えず大きく振るのはこわいのでこの程度にしてみた。クラブは勿論重く感じるが、力を入れられず結構スイートスポットに来る。腰をねじるのは控えめにやってみた。痛みはないがダフルと身体の骨にひびく。目一杯振れるようになるのはいつだろう。
10/25:
+21
朝起きて、尿瓶で尿をとらずトイレに直行するとはじめて自己コントロールの小水が出た。今までは尿瓶でとってから起き上がっていた。
退院後はじめて何もない休日、子犬の散歩をし、一日中家の中でごろごろしていた。散歩時は少し、重苦しい感じがあったが、後は良好だった。
静かにしていてもまだ尿漏れは続いている。しかし、静かにしている状態では90%はトイレでと言う具合である。尿量は最大200cc位だろうが、心配だから早めにトイレに行くので、ここまで溜まることは少ない。
10/26:
+22
足のだるさからインターネットで見ていると、リンパ腺切除の影響があるような記事があり、符合していた。身体が慣れるしか方法はないだろう。また、リンパ節がなくなった分だけは、今後疲労に気をつけなければならないようである。リンパ浮腫などといってひどい状態になる人もいるようだが、前立腺の切除でそのようになる人は少ないようだ。
午前中は人の出入りなどが激しく、ほとんどパッドに依存してしまった。午後からはそのようなことなく、コントロール小水が出来た。
10/27:
+23
この日の午前中は、地域の人2人の訪問や銀行などで歩行距離2キロほどで、午前中を費やしてしまった。歩いたり立ったり座ったりで午前中は完全にパッド依存となった。
10/28:
+24
《術後
最初の外来》
外来診察・・10時に間に合うように電車に乗ると濃霧のために電車が大幅に遅れており25分程度のところを1時間以上費やしてしまった。電車では立ったままの状態で、電車を降りてから駅構内のトイレでパッドを交換すると、ちょっと血が出ていた。出血は3回目であるが、次のパッドに血はもうつかなかった。
    面談した医師から知らされたこと、聞かれたことと応答は、
  • 癌は前立腺内に治まっており、リンパ腺にも転移がないと判断される。ただし、一時ホルモンを使ったので、その影響が出ていて、無治療状態より判断が難しいこと(手術前の説明で100%取り切れたと思っても30%再発がある(経験値)と説明されている)、
  • (先生)失禁は?・・・(私)静かにしている場合はほとんどないが、動くと駄目である。(先生)そのような状況なら大丈夫でしょう。
  • (先生)使用パッド数は?・・・(私)10枚程度
 ということであった。これで一応、放射線もホルモン治療もない、ほっとした。今後は何もせず、PSAを観察するということで、血液採取だけして帰ってきた。そのままある会合に出席した。先生とはいろいろ話したかったのだが、お忙しく他の患者も待っている状態なので簡単に切り上げざるを得なかった。
 この1日は結構上記のように動いてしまった。その結果かも知れないのだが、尿漏れは多く、前の段階に戻ってしまった感がある。まあ、こんなことの繰り返しで少しずつ良くなって行くのだと思う。
10/29:
+25
同期会(幹事の一人)で銀座へ、ちょっと心配だっが問題なく往復、出発から帰宅まで約5時間。焼酎のオンザロック1杯に留める。最近は、ブレーキが効かずに飲み過ぎることが多いと自ら感じていたが、この入院でちょっとブレーキが効くようになった。
 数日前から、摘出した部分ではなく臍のちょっと下辺の周囲が、痛むと言うほどではないがちくちくする。くしゃみや咳をするとその辺に筋肉痛のようなものを感じるようになった。筋肉まで回復してきたという証なのだろうか。
10/30:
+26
睡眠中は尿は結構安定して出ている。朝起きたときは少し我慢すればトイレに行ける状態になっている。昼は、事務所で立ったり座ったりやはり駄目である。
10/31:
+27
前日静かにしていたせいか、漏れは少ない。

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