地域に関して

 50歳少々前に地域入りし感心したことも驚いたこともある。感心したことは、地域の小商工事業者や一部の民間を中心とした人々は、これだけ地域でいろいろな仕事をして行政や地域支援をしているのかということである。
 一方で驚いたことは、二つある。一つは、これだけの仕事をしながらサラリーマン時代の私は、それらの活動をほとんど知らなかったことで、その原因が地域の情報発信能力の欠如にあることであった。この抜本的な改善をはからない限り地域社会はいつまでも進歩しない、過去をだらだら踏襲しているばかりの老人ばかりの地域社会になる、と思うようになった。今から20年も前の1990年頃のことである。今、それはほんのちょっとだけ改善されているように思える。しかし、抜本的な改善はまだまだである。昔から居着きの同人達がいつまでも頭にいるからである。もう一つは、過去の延長で形式ばかりの団体が如何に多いかと言うことである。

 しばらくして驚いたことの最たるものは「関連を持つ団体すべてが文書なき団体」と言うことであった。勿論、規約程度はあるのだが、日常の運営は口だけで記録も残さずと言う具合である。一応大手サラリーマンを経験し、仕事規模もそれなりの世界できて、その中では「文書は基本」であったからである。この文書欠落は当然多くの弊害や非効率を伴うのだが、今まで文書なしでやってきた人々にはその欠陥がわからない、理由を説明してわかった気になってもらっても中高年になった今更文書作成能力が高まるわけではない、しばらく所属した団体で言い続けたのだが諦めてしまった。
 こんな書き方をして申し訳ないのだが、極言すれば地域社会は小規模の仕事をしている小事業者中心だから「請求書と領収書が書ければよい」と言うことなのである。その後20年以上経過し、次の世代が台頭しパソコンやインターネット利用者も増えてきたが、当時はパソコン利用者は皆無と言って良いほどであった。何事も平均的な社会に遅れること約20年である。だから衰退は当然のことである。後継者が居ないと言っても、子弟は学歴が高くなり外に就職してしまうのだから、当然である。
 私の地域では一部サラリーマンを経験したOBが居る。昭和10年代生まれでも、彼等はパソコンもインターネットも使う。だから、小団体の会計仕事などは何なりとこなす。一人で、5団体以上の会計をこなしている人もいる。地域育ちの昭和10年代ならば今尚手書き・電卓だろう。私も3つ程こなしている。

分類 項目 概要
地域社会  日本の一流企業などは人を引き付け優秀な人々を採用して行く。そうでなければ、日本の発展も維持もない。と言うことは地域社会はそれ程でもない、と言えるのだろう。しかし益々「自分のことは自分で、地域のことは地域で」と言う社会になるだろう。では、誰が地域をとなるのだが、地域には定年退職した経験豊かな人、子育てなどで地域を離れられない優秀な女性達が居る。それらの人々が地域社会の中心となるだろう。地元出身で形ばかりの人々が仕切っている地域社会は脱皮しなければならないだろう。
景観条例と私  言い出した人間だから仕方がないのだが、2003年から具体的な行動を開始し、6年がかりで建物の1階壁面後退を伴う景観条例と言うものを手がけることになった。2011年現在この条例に基づいて建築された建物は50程(全建物の十数%)になるだろう。大小会合数は100回あまり、まあ地域仕事では最難関の類だっただろう。
 後押ししてくれる人、静かな賛同者、静かな反対者、露骨な反対者など人間模様は様々だったが、条令への評価は将来わかることだろう。