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手術前状況と症状 (〜2004.8) |
前立腺癌は自覚症状がないと言われる。しかし、厳密には自覚症状はあるのかも知れない。関係があるかどうかはわからないが、私はこんな状況だった。手術を受けた医師から「10年前に出来はじめ」と言われたが、思い当たることもある。 |
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A医院 (2004.8〜2005.3) |
2004年8月に妻に「貴方も歳だから一緒に行きましょうと言われ」近所のA病院に一般検診に行ったところ「前立腺癌の検査が血液だけで出来るのですが」といわれ「歳だからお願いします」とあるはずもないと気楽にお願いしたところ、見事に引っかかってしまった。その後、手術まで1年以上を経過してしまったが、もたもたしてよかった面と悪い面がある。 |
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B病院 (2005.3〜7) |
A医院からの紹介で、大きなB病院で精密な検査を受けはじめ、癌が確定し治療に当たりはじめたのだが、どうも病院側の勧めというものを感じない。治療方法も最新の高度のものは行っていず、私相手に勧めにくかったのかも知れない。確かに渡された治療説明には「方法の選択は患者の意思」とは書いてあるのだが、これでよいのかと疑問を持った。専門家なら「私のベストと思う判断はこうだが、どうしますか、この治療法をお望みなら別病院を紹介します」となって普通だろうとも思った。そんなことで、別病院で判断を受けることを考えはじめた。 |
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C病院(手術まで) (2005.8〜) |
C病院の先生は言葉遣いは優しいが、医師としてのお薦めははっきりとしている。どんどんと流れにのせられることになり、腹腔鏡による摘出手術となった。 |
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C病院 (入院と手術) |
入院後手術前は準備だけ、手術は麻酔で自分自身は何もわからず、術後は生理食塩水主体の点滴のみ、術後薬が何も出なかったのにはびっくり。術後観察と失禁との戦いだけで治療という感じもなく退院してしまった。 |
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C病院
- 入院からの経過のまとめ(05年10月〜12月;表形式)下記、10〜12月が細かすぎるので概略表形式でまとめたものである。
- 05年10月(10月詳細)05年10月〜12月は、自分のメモで少々細かすぎ、もう自分でも忘れていて「そうだったのか」と思う。
- 05年11月(11月詳細)
- 05年12月(12月詳細)
- 06年1〜6月(まず手術後約3ヶ月経過したここを見ていただき、必要に応じ前に戻っていただく方が良いかも知れない。)
- 06年6〜12月(書くことも少なくなってきたので、文書に形式を変えて)
- 07年1月〜10月(3年異常なく過ごせた)
- 07年11月以降(2010.12月、特に異常なく生活している、記述はこの辺で終えようかと思う)
- 以降(2015.10月、前立腺手術に関しては、特に異常なく生活している。記述することも特にない。ただ最近パッドを常時利用することにした。漏れも老齢化で増えた気もするし、パンツを汚すよりよいだろう、漏れを心配しているよりよいだろう、と言うことからである。しかし、今度は常時使用は蒸れてかゆみなどが出てくる。パッドは蒸れないようにし臭気を逃さないように反することを実現するのは基本的に難しいだろう。それで、パッドにはもっと良いものがないかといろいろ探しテストしている。
1日2万歩は歩ける、とは言え耳・眼・足腰・内蔵など問題も増えている。
パッド消費の経過(手術直後2005年10月〜2007年10月)
「人により個人差はあるが失禁をあまり恐れる必要はない、回復する」との勧めで手術に踏み切った。しかし、手術の微妙な差もあるだろうし個人差が大きいようで、なかなか実感としてはわかならないことである。私の失禁回復の経過を示してみた。読まれる方には、一番重要なところかも知れない。
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