前立腺癌闘病記

 64歳の時に腹腔鏡で摘出手術、術後丸10年を経過した2015年現在、運良く再発はせず、未だにゴルフをやっています。
 術後に一生懸命尿道筋肉を鍛えることもせず、ほとんど自然に任せることにしたせいか、術後からゴルフや歩行などの時だけパッドを使用していましたが、間もなく後期高齢者という年齢になる最近は老化でゆるみも生じたのか、日常でも一番小さなパッドを使用するようになりました。そろそろ骨盤底筋訓練を意識しないとならないかも知れません。
 術後直ちに体重が4キロほど増え74キロ程度になりました。これは横這いです。ゴルフの飛距離は年なりに落ちる程度でした。ホルモンを使わなかったのが良かったのかも知れません。こんなこと以外は何も変わらず生活しています。・・・75歳
《その後》75歳で顔面帯状疱疹で入院、76歳でネパール4000m・直後に(結果は)肺腺腫除去で入院手術、77歳で軽度の胃癌で入院手術、78歳で富士山(山男ではありません)、コロナ禍の中でも10km程の低山歩き、ゴルフも細々続けています。・・・80歳

ここに使っているいくつかの図は、あるホームページのものを使わせていただきました。
ご許可いただきたいと思います。
 
私もそうだったが前立腺の機能や構造はほとんど知らなかったと言えよう。多くの人がそうであるようだ。病気にでもなってみないとわからないのだろう。機能などは他のホームページをお探しいただきたい。

    前立腺癌は、
  • 一般的には進行が極めて遅い癌で、20万人に20人程度の病気のようである。しかし、周囲と話していると桁違い(二桁程度)に多いような印象を受ける。検査医療の進歩で発見される人が多くなったと言うことだろう。
  • 患者の数値は、病気とはっきりわかって治療した/している人のようでもある。
  • 70歳で亡くなった同年の友人など発見まで30年と言われた例もある。
  • 最近亡くなっている知り合いの八十代の多くの老人が前立腺癌からの全身転移でなくなっている。この時代の人は、検査することもなく、ある時症状などが出て癌わかるのだろうと思う。ただ、これを持っていても別の原因でなくなることの方が多いようである。
  • 白人に多く、洋食化などが原因と言われることもあるが、私は和食がほとんどである。私は、こんな単純理由ではないように感じている。発見が早くなった言うことではないだろうか。
 19歳の時にばい菌から外的要因の痔で1ヶ月ほど入院した後は、健康診断や胃薬をもらう程度で、ほとんどお医者さんにかかることもなく過ごしてきたましたが、2004年63歳になり癌の疑いありと灰色になりました。その後、手術を受けるまでに1年少々を要してしまいました。仕事などの事情から、止む終えないと言うこともありましたが、最初の病院の技能範囲が広かったならば、回り道療法もせず、手術まで数か月だったかとも思います。転院した病院での手術や病理検査の結果、今のところ転移なしと言われており、以下の文書は、今のところ手術までの過程と失禁苦労で終えることになると思っていますが、運悪く同じ病にかかった人に参考にしていただく記録のつもりです。私はあまり勉強家ではありませんから、あれこれと本を探し読むということはしていません。推測だらけの内容です。
1 手術前状況と症状
(〜2004.8)
前立腺癌は自覚症状がないと言われる。しかし、厳密には自覚症状はあるのかも知れない。関係があるかどうかはわからないが、私はこんな状況だった。手術を受けた医師から「10年前に出来はじめ」と言われたが、思い当たることもある。
2 A医院
(2004.8〜2005.3)
2004年8月に妻に「貴方も歳だから一緒に行きましょうと言われ」近所のA病院に一般検診に行ったところ「前立腺癌の検査が血液だけで出来るのですが」といわれ「歳だからお願いします」とあるはずもないと気楽にお願いしたところ、見事に引っかかってしまった。その後、手術まで1年以上を経過してしまったが、もたもたしてよかった面と悪い面がある。
3 B病院
(2005.3〜7)
A医院からの紹介で、大きなB病院で精密な検査を受けはじめ、癌が確定し治療に当たりはじめたのだが、どうも病院側の勧めというものを感じない。治療方法も最新の高度のものは行っていず、私相手に勧めにくかったのかも知れない。確かに渡された治療説明には「方法の選択は患者の意思」とは書いてあるのだが、これでよいのかと疑問を持った。専門家なら「私のベストと思う判断はこうだが、どうしますか、この治療法をお望みなら別病院を紹介します」となって普通だろうとも思った。そんなことで、別病院で判断を受けることを考えはじめた。
4 C病院(手術まで)
(2005.8〜)
C病院の先生は言葉遣いは優しいが、医師としてのお薦めははっきりとしている。どんどんと流れにのせられることになり、腹腔鏡による摘出手術となった。
5 C病院
(入院と手術)
入院後手術前は準備だけ、手術は麻酔で自分自身は何もわからず、術後は生理食塩水主体の点滴のみ、術後薬が何も出なかったのにはびっくり。術後観察と失禁との戦いだけで治療という感じもなく退院してしまった。
6 C病院
  • 入院からの経過のまとめ(05年10月〜12月;表形式)下記、10〜12月が細かすぎるので概略表形式でまとめたものである。
    • 05年10月(10月詳細)05年10月〜12月は、自分のメモで少々細かすぎ、もう自分でも忘れていて「そうだったのか」と思う。
    • 05年11月(11月詳細)
    • 05年12月(12月詳細)
  • 06年1〜6月(まず手術後約3ヶ月経過したここを見ていただき、必要に応じ前に戻っていただく方が良いかも知れない。)
  • 06年6〜12月(書くことも少なくなってきたので、文書に形式を変えて)
  • 07年1月〜10月(3年異常なく過ごせた)
  • 07年11月以降(2010.12月、特に異常なく生活している、記述はこの辺で終えようかと思う)
  • 以降(2015.10月、前立腺手術に関しては、特に異常なく生活している。記述することも特にない。ただ最近パッドを常時利用することにした。漏れも老齢化で増えた気もするし、パンツを汚すよりよいだろう、漏れを心配しているよりよいだろう、と言うことからである。しかし、今度は常時使用は蒸れてかゆみなどが出てくる。パッドは蒸れないようにし臭気を逃さないように反することを実現するのは基本的に難しいだろう。それで、パッドにはもっと良いものがないかといろいろ探しテストしている。
    1日2万歩は歩ける、とは言え耳・眼・足腰・内蔵など問題も増えている。
パッド消費の経過(手術直後2005年10月〜2007年10月)
「人により個人差はあるが失禁をあまり恐れる必要はない、回復する」との勧めで手術に踏み切った。しかし、手術の微妙な差もあるだろうし個人差が大きいようで、なかなか実感としてはわかならないことである。私の失禁回復の経過を示してみた。読まれる方には、一番重要なところかも知れない。
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